『百人一首』の作者たち−待賢門院堀河−


・日時:4月20日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:小林一彦先生(京都産業大学教授)
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**「百人一首」の講義は、第二回**
「百人一首」は、百人の歌人から一首ずつを選んだもので、「古今和歌集」から「続後撰集」にいたる二十一の勅撰和歌集の中から選ばれている。選者は藤原定家とされている。
◇第一回:右大将道綱母
(五十三番)「嘆きつつ ひとり寝(ぬ)る夜(よ)の 明くるまはいかに久しき ものとかは知る」
(歌意)(嘆きながらひとりで寝る夜の明けるまでの時間が、どれほど長いものか、ご存じでしょうか。きっとご存じないでしょう。)

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(%エンピツ%)「百人一首」第二回講義
〇80 「長からむ心も知らず黒髪のみだれて今朝は物をこそおもへ」
(歌意)(八十番)(あなたの愛情が長続きするかどうか、わかりかねます。黒髪も寝乱れ、心も乱れて、あなたとお逢いした後の今朝、あれこれ行く末が案じられて、わたしは物思いに沈んでいるのです。)

作者:待賢門院堀河
・待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ)は、平安時代後期の歌人。神祇伯源顕仲(あきなか)の娘。鳥羽天皇の中宮で、待賢門院璋子(しょうし)に仕え、堀河と呼ばれた。待賢門院の出家にしたがって尼となった。父もすぐれた歌人。西行とも親交があり、勅撰集にとられた歌は65首。生没年未詳。

・(出典)この歌は、(百首歌奉りける時、恋のこころよめる)として、『千載和歌集』・恋三に出ている。
・「長からむ」「乱れて」は、「髪」の縁語。。
・「黒髪のみだれて」…黒髪のように(心が)乱れて。
・「物をこそおもへ」…もの思いにふけっています。「こそ」は強意の係助詞で、文末はこれを受けて「思ふ」の已然形「思へ」で結んでいる(係り結び)。
*この歌は「後朝の歌」…後朝(きぬぎぬ)の歌とは、男女が共寝して別れた朝に、男性から女性へ贈る和歌。「きぬぎぬ」は、男女が共寝の時、互いの衣(きぬ)を重ねて敷いたり掛けたりするが、翌朝、衣をそれぞれ身につけるの意。それから転じて、男女が共寝して過ごした翌朝、あるいは、その朝の別れを意味する。

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◇紀貫之の歌に、「朝な朝なけづればつもる落ち髪の乱れて物を思ふころかな」。髪の乱れを詠んでいるこの歌を本歌として、堀河の歌が詠まれている。
◇和泉式部の歌に、「黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきや人ぞ恋しき」。(後拾遺和歌集・恋三)…(黒髪の乱れが初出)。和泉式部と堀河の歌は、女性の「黒髪」が歌語として確立するうえで重要な歌だった。黒髪は白髪(老い)の反対概念として、「若さ」の象徴となり、そこから女性の妖艶美が派生していった。
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**あとがき**
・この待賢門院堀河は、当時、有数の女流歌人として名高かった人である。
・萩原朔太郎の恋愛名歌集より。…この堀河の歌は、「男と別れた翌朝である。昨夜、愛の言葉を交わしながら、男心のたよりなさを考えれば、行く末のことが不安でならない。どうせ〈長からむ心も知らず〉である故に、今朝の寝乱れ髪が乱れるままに、いっそどうにでもなってしまえと言ふ心を歌って居る。」…(以下省略)。
・西行と親しく、『山家集』『西行法師家集』に贈答歌が見える。