群集墳終末の様相

・日時:6月13日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:安村俊史先生(柏原市立歴史資料館館長)
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◆*前回の復習*
「群集墳」の講義は、今回で2回目。前回は、第1回「河内の群集墳を探る」(2016年10月)。
・6世紀中ごろから、近畿を中心に全国的に小規模な古墳が築造されるようになる。狭い地域に小古墳が密集する古墳群を「群集墳」という。
・河内においても、金剛・生駒山地の山麓に群集墳が築かれる。(河内の群集墳の古墳総数は、3,000基とも4,000基ともいわれる。)
・群集墳の墳形は、ほとんどが円形。埋葬施設としては木棺直葬も見られるが、その多くは横穴式石室である。(それまでの竪穴式石室と異なり、後から追葬が可能。)

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群集墳終末期の様相
(1)7世紀初頭の変革
・近畿の多くの群集墳は、6世紀後半に造営のピークを迎え、6世紀末もしくは7世紀初頭に造営を終える。…八尾の高安古墳群、南河内郡の一須賀古墳群、東大阪の山畑古墳群など。
・7世紀代も造営を続ける。…柏原の平尾山古墳群、天理の龍王山古墳群。
(2)終末期群集墳の事例
*(右上の資料は、平尾山古墳群雁多尾畑第49支群の図面。)
・標高350m前後の尾根の南斜面に10基の古墳が.造られている。
・埋葬施設は、無袖式の横穴式石室が半数を占め、そのほかに竪穴系小石室、木棺直葬がある。
・古墳は、5・6号墳と7・8号墳は対(つい)で造られていると考えられる。特に、7・8号墳は周溝を共有するなど強い関係がうかがえる。⇒夫婦墓か。.


(3)終末期群集墳の特質
*(右の資料は、柏原市立歴史資料館の「群集墳の副葬品」)
7世紀を通じて、群集墳は簡略化・省略化の道をたどる。その過程で、埋葬に対する意識も変化して、次第に副葬品も少なくなる。7世紀後半ごろには、ほとんどの群集墳が終息していく。
・立地…尾根筋から(6世紀)→南斜面へ(7世紀)
・埋葬施設…横穴式石室から.多彩な埋葬施設へ。
・埋葬…多数埋葬から1体埋葬へ。
・.副葬品…多種多量から少種少量へ。(金環と刀子(とうす=ナイフ))

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☆「柏原市立歴史資料館」の見学(右の写真は、歴史資料館)
・日時:6月23日(金)午後3時頃。JR関西本線(大和路線)高井田駅より徒歩5分。史跡、高井田横穴公園に隣接する。行く途中に、いくつもの岩盤を掘った横穴がある。
・常設展を見学。入館料(無料)。安村館長に挨拶。
・柏原市内の発掘調査で出土した考古資料をもとに、旧石器時代から近世までの歴史を紹介する資料館…高井田横穴群、平尾山古墳群などから出土した装身具や土器などを展示。江戸時代の大和川付け替えなどの資料、.柏原の地場産業であるぶどう酒造りの資料も展示。
・夏季企画展…7月1日〜8月27日まで。「横穴探究−高井田横穴が見た25年」。