「古代の元日朝賀と宝幢遺構」


・日時:6月27日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:中尾芳治先生(元帝塚山学院大学教授)
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藤原宮の宝幢遺構と『続日本紀』大宝元年の朝賀式
2016年夏、藤原宮大極殿院の南門の前で、元日朝賀で飾る宝幢(ほうどう・宝珠で飾った旗)を立てた柱穴が七つ見つかる。『続日本紀』の大宝元年(701)の律令国家に完成を祝う儀式で、7本の幢(はた)が立てられた」との記述と一致した。
『続日本紀』大宝元年(文武天皇) (*右上の資料を参照)
「天皇、大極殿に御(おは)しまして朝(ちょう)を受けたまふ。正門(せいもん)に烏形(うけい・カラス)の幢をたつ。左(東)は日像・朱雀・青龍の幡、右(西)は、月像・白虎・青龍の幡なり。」

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天皇が大極殿で群臣の拝賀をうける儀式のイメージ(*右の資料を参照)
天皇の即位式や元日朝賀、外国使節などの国家的セレモニーの様子である。天皇は、南門に出御して、重臣や外国使節と会ったり、歌舞や供宴を楽しんだ。

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〇各宮跡の宝幡遺構
(1)位置
・大極殿院前庭 《平城宮・長岡宮》
・西院前庭 《平城宮》
・朝堂院 《藤原宮、恭仁京》
(2)構造
・楕円形の掘形内に2本の支柱と貫板で固定。東西に7本の宝幡が並列する。《平城宮・恭仁京・長岡宮》。
・方形の堀形に1本の柱を7本立てる。並列しない。《藤原宮》。

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**あとがき**
・藤原宮の南門(東西39m、南北14m)は、大極殿のすぐ南に位置し、柱穴列は、南門の約3m南側で検出。柱を据え付けるための穴は、1辺80cm〜1mの大型で、長さ43mにわたって、15個の柱穴が2〜3mごとに南門と平行に並んでいる。
・柱穴列は、「元日朝賀」や「天皇即位式」に伴う、関連施設の一部と推定。
・古代の元日朝賀の起源は、一般に孝徳朝の大化2年(646)に始まったといわれる。(元旦朝賀の初見史料『日本書紀』孝徳朝の元日朝賀式。)→前期難波宮に宝幡は立てられたか?。いまのところ、不明である。孝徳朝の前期難波宮と後期難波宮は、遺構が重なっており、今後の再調査を待つ。)