与謝野晶子『みだれ髪』−その魅力と斬新さ−


・日時:9月21日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(富田林市)
・講師:瀧本和成先生(立命館大学教授)
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与謝野晶子『みだれ髪』
**「近代短歌史上においてもっとも光栄のある瞬間の一つは、22歳のうら若い女性の手に成った歌集『みだれ髪』の出現のときである」(小田切秀男(近代文学研究者)『みだれ髪』論・昭和43年より)
・与謝野晶子の処女歌集『みだれ髪』は、明治34年(1901)8月、東京新詩社より出版。雑誌「明星」掲載の歌を中心に、「臙脂紫」(えんじむらさき)、「白百合」、「舞姫」など六章からなり、全399首が収録。
・与謝野鉄幹との運命的な出会いやその後の激しい恋愛体験を軸に、鉄幹をめぐる山川登美子や京の舞妓たちを詠んだ「白百合」や「舞姫」の章など、歌集全体が物語的な興趣に包まれている。
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歌の特徴(抜粋)
●「くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
(意訳)(私の乱れた黒髪。その幾筋もの髪のように私の心は恋のために千々に思い乱れている)
●「おもひおもふ今のこころに分ち分かず君やしら萩われやしろ百合
(意訳)(お互いに相手のことを思い続けていたためでしょうか。いったいどっちがどうだったのか分からなくなってきます。あなたが白萩で、私が白百合だったのでしょうか。)…〈当時、「明星」の女性歌人は、お互いを白い花の愛称で呼び合っていた。ここでは、わざと取り違えて自分の混乱ぶりを表している。白萩は晶子、白百合は登美子。)

・歌の特徴は、「くろ髪」や「百合の花」に代表されるように、大胆な自己の解放と青春の賛美に貫かれている。

●「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
(意訳)(私の柔らかい肌の下に脈打つ熱い血汐。それに触れ、その情熱の炎も知ろうともしないで、あなたは世間一般の道徳を語ろうとする。さびしくはないですか。)
・恋愛の讃歌の数々は、若さと無限の可能性を謳いあげている。それ故悶え苦しむことは決して恥ずかしいことではなく、むしろ人間の生の姿として肯定しようとしたところにこの歌集の特徴がある。。

●「星の子のあまりによわし袂あげて魔にも鬼にも勝たむと云へな
(歌人「山川登美子」を「星の子」と詠み、登美子の身の上を思い、励ました歌。)
・「明星」派の歌人たちは、当時〈星菫派〉と呼ばれている。それは天上への憧れだけから来るものではない。小さな俗世間から解放された者として、大きな宇宙の中を翔ぶ「星の子」の存在を謳いあげている。

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藤島武二の装丁・挿絵
歌集『みだれ髪』は、斬新な歌とともに、藤島武二の手になる装丁や挿絵によっても、当時の読者に大きな衝撃を与えている。歌集に「この書の体裁は悉く藤島武二先生の意匠に成れり/表紙絵のみだれ髪の輪郭は恋愛の矢のハートを射たるにて矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」と記されているように、扉絵のほか、七葉の挿絵が盛り込まれている(*表紙絵は、右の資料で左側の絵)。
ア−ル・ヌ−ヴォの影響−特にアルフォンス・ミュシャの影響
ア−ル・ヌ−ヴォ−とは、19世紀末ヨ−ロッパに起こった建築工芸運動のことで、曲線をモチーフとする新しい様式は、美術にとどまらず、都市デザインにまで発展していった。
・雑誌「明星」には、藤島武二のほか一条成美等が担当した表紙絵・カットが数多く登場しており、女性の裸体や髪、花々を大胆に曲線によって表現している。…「明星」には、アルフォンス・ミュシャを代表とするアール・ヌ−ヴォ−の様式美を日本にいち早く取りこみ、新風を吹き込もうという意図があった。右上の資料で中央の絵は、舞台女優サラ・ベルナールを描いたポスターで、ミュシャの作品。「明星」第6号で、一条成美の模写したカットが注目された。
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**あとがき**
・近代短歌革新…明治時代に入っても、和歌は「古今集」を手本にした歌が中心であったが、落合直文(国文学者・歌人)は、短歌革新論を展開し、「あさ香社」を結成(明治26年)。主観を重視する浪漫的な短歌を目指した。与謝野鉄幹は、落合直文に師事し、妻晶子とともに、明治浪漫主義に新時代を開き、北原白秋、吉井勇、石川啄木らを輩出。また、正岡子規は、写生主義、万葉集を基本にすることを提唱。子規の死後、伊藤左千夫・長塚節らにより短歌結社「アララギ」へと発展。
・「明星」の歌風は、「星菫派」(せいきんは)と呼ばれ、情熱的で旧来の制約にとらわれない、自由・自我の表現を求め、近代浪漫主義の大きな柱となった。