『伊勢物語』の心と言葉②−東下り−

・日時:3月15日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:小野恭靖先生(大阪教育大学教授)
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○前回(①作品概況・芥河)の復習
◆『伊勢物語』概説…平安時代初期の歌物語。全125段からなり、ある男の元服から死に至るまでを、仮名の文と和歌で作った章段を連ねることによって描く。歌人在原業平の和歌を多く採録しており、主人公には、在原業平の面影がある。各章段は、「むかし、男ありけり」と書き出して、その「男」が歌を読むにいたった経緯を語る小編の歌物語。
◆前回(第六段「芥河」)…「むかし、ある男がいた。天皇の後宮に入内する二条の后に恋して、盗み出すことを計画。結局二人の関係は、男が女を連れ出した夜、女が鬼に食われたことにより終わりとなる。」(有名な鬼一口(おにひとくち)と呼ばれる段である。

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○第二回:第七段〜第十四段
第七段「かへる浪」
・むかし、ある男がいた。都に住みづらくなって、東国に下って行ったが、伊勢と尾張の国の間の浜辺を行く時、浪が大そう高くたつのを見て、「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな」と詠んだ。
(歌訳)(過ぎ去った日のことが恋しくてならないのに、帰っていく浪を見ると、帰ることのできない自分はうらやましくてならないのだ…)

第九段「東下り」(*右上の資料を参照)
・むかし、ある男がいた。その男は、わが身を無用な人間と思って、東国に居場所をさがそうと、友達一人・二人と旅立った。道を知っている人もなくて、迷い歩き、三河の国(愛知県)の八橋(やつはし)という所に着いた。川の流れが蜘蛛の手のように八つに分かれるるので、橋を八つ渡しているところから八橋という。その沢のほとりに座って乾飯(.かれいい=干した携帯用御飯)を食べた。その沢に杜若(かきつばた)が美しく咲いていた。それを見て、ある人が「か・き・つ・ば・た」を折句にして、旅の心を詠んでくれないかというので、男は詠んだ。「 ら衣つつなれにしましあればるばるきぬるびをしぞ思ふ」と詠んだので、そこにいた人はみな、乾飯の上に涙を落とし、そのために乾飯はふやけてしまった。…以下省略。
(歌訳)(から衣は着ていると慣れる、私にはその、慣れ親しんだ妻が京にいるので、はるばるやってきたこの旅が、身に染みて感じられることだ。)

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第十二段「盗人」(ぬすびと)
・むかし、男ありけり。人の娘を盗んで、武蔵野へ伴って行くと、盗人であるので、.国守に捕らえられてしまった、男は女を草むらに置いて、逃げたのである。跡を追ってきた連中が、「この野に盗人が隠れているそうだ」と言って、燻り出すために火をつけようとする。女は嘆いて、「武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり」と歌を詠んだのを聞いて、追っ手の人たちは、女をとりもどして、捕らえた男と共に連れて行った。
(歌訳)(武蔵野は、今日は焼かないでください。私の夫(つま)も草の中に隠れています。私も隠れています。
◇第十段「たのむの雁」、第十四段「くたかけ」は省略。
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**あとがき**
・今回は、都を追われてさすらいつつ、なおも行く先々で野趣ゆたかな恋をさぐる男の物語。
・東下りの「から衣・・・」の歌。「かきつばた」という花の名を、和歌の各句の初めに置いて詠む技巧を「折句」(おりく)といって、平安朝時代に遊戯として流行した形式。