奈良公園・文学散歩


・日時:4月26日(木)、集合時間:10時(近鉄奈良駅行基像前)
・【コース】:近鉄奈良駅−猿沢池−興福寺−国立博物館−鷗外の門−(昼食)−春日大社神苑(萬葉植物園)−春日大社−水谷神社−若草山麓−手向山八幡宮−二月堂−東大寺大仏殿−奈良県庁屋上−奈良駅(解散:15時半)
・ガイド:浅田隆先生(奈良大学名誉教授)
・参加者:35名
・天候:晴れ
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猿沢池(*右上の写真を参照)
興福寺を望む池。周囲には柳が植えられている。奈良時代に帝の寵愛を失って、池に身を投げたという采女(うねめ)を祀る采女神社がある。
・[会津八一の歌碑]−猿沢池にて−
わぎもこが きぬかけやなぎ みまくほり いけをめぐりぬ かささしながら
(歌意:采女が身を投げるとき衣を掛けた柳を見たいと思って、折からの雨に傘をさしながら、猿沢池をめぐり歩いた。)

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興福寺(奈良市登大路町)(*右の写真を参照)
藤原氏の氏寺として栄華を極めた古刹。高さ約50mの五重塔は古都奈良のシンボル。数々の火災や明治期の廃仏毀釈で規模が縮小するが、それでも歴史的遺産は多い。
*奈良公園…興福寺、東大寺、春日大社から、若草山、御蓋山、春日奥山の一帯、東西4km、南北2kmの範囲は奈良公園として管理されている。

奈良国立博物館(奈良市登大路町)
・明治28年(1895)に建築。明治中期の代表的な欧風建築として国の重要文化財に指定)。日本随一の仏教美術専門の博物館。

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鷗外の門
森鷗外は、帝室博物館総長に1917年(大正6)に就任。正倉院の開封に立ち会うために奈良に来た。鷗外が滞在した官舎の門がある。母屋は門だけ残っていて、「鷗外の門」と呼ばれ、門の前には大きな石碑がある。
*「奈良五十首」…鷗外の奈良来訪は公務出張。正倉院の開かない雨の日だけ、傘をさしながら奈良めぐりを楽しんでいる。奈良における和歌の連作「奈良五十首」が生まれた。
・「猿の来し 官舎の裏の 大杉は 折れて迹(あと)なし 常なき世なり
(歌意:われわれは、有限の世界に生きている。)
・「勅封の 筝(たけのこ)の皮 切りほどく 剃刀の音の 寒きあかつき
(歌意:今まさに天皇の署名入りの封が切られ、正倉院の扉が開けられる情景。)

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春日大社神苑(奈良市春日野町)(*右の写真は神苑の藤の花)
藤原氏の氏神。千古の森に包まれた境内は広大で、朱塗りの社殿が美しい。今日の神苑(萬葉植物園)は、「藤の花」が咲き、華やかさを添えている。
・「会津八一歌碑」−春日野にて−(歌碑が神苑にある)
かすがのに おしてるつきの ほがらかに あきのゆふべと なりにけるかも
(歌意:月の澄みわたった光が春日野をあまねく照らしていることを「ほがらかに」という語で表現している。)
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**あとがき**
◇奈良の風景と文学
・会津八一(あいづやいち):1881年(明治14)〜1956年(昭和31)。新潟県生まれの歌人、美術史家。早稲田大学教授。奈良を愛し、奈良の古跡・古美術を詠んだ歌人。奈良県内には、八一の自筆歌碑が21基ある。歌集『鹿鳴集』他。
・森鷗外:「奈良五十首」
・和辻哲郎:『古寺巡礼』
・井上靖:『天平の甍』
・堀辰雄:『大和路 信濃路』
・(俳人):正岡子規、高浜虚子、橋本多佳子、細見綾子