青銅器文化と出雲

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・日時:7月17日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:森岡秀人先生(奈良県立橿原考古学研究所共同研究員)
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出雲二大発見例の検討
わが国では、他に例を見ない、大量の青銅器が出雲の2箇所から出土した。
◆「神庭荒神谷遺跡」(島根県出雲市)
*右の写真は、荒神谷遺跡の銅鐸・銅矛の出土状況です。
1984年(昭和59)、荒神谷(こうじんだに)遺跡から、大量の青銅器が見つかる。→358本の銅剣が出土。1985年には、同じ場所で銅鐸6個・銅矛16本が発見。
・銅剣358本は、それまでの全国銅剣発見総数310本を上回る。この銅剣は、中細形C類が中心で、弥生中期中頃の出雲生産を前提とする。
・銅剣には×印(344本の茎(なかご))が、鋳造後タガネ状工具で刻まれている。
・複数種の青銅器の合体埋納例は、これまで例の無い発見だった。
◆「加茂岩倉遺跡」(島根県雲南市)
1996年(平成8)、一箇所からの出土例としては、日本最多となる39個の銅鐸が発見。
・荒神谷遺跡から僅か3,4kmしか離れておらず、両遺跡から出土の銅鐸に「×」印の刻印があるところから、古代出雲を研究する上で、手がかりとなっている。

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出雲から塗り替えられた青銅器分布
・これまで、全国で470個の銅鐸が発見されて、その1割を超える銅鐸が出雲に見つかっている。
・神庭荒神谷遺跡では、数多くの銅剣が出土、また銅鐸・銅矛が一緒に出土した例は他にない。
・「神」の字がついた地名に、銅鐸を埋めた場所が多い。…出雲市神庭、神戸市神岡(かみか)、徳島県神宅(かんやけ)、兵庫県神種(こうのおくさ)など。また、周囲に巨石、岩陰、岩倉、磐座(いわくら)。
◇銅鐸で留意すべき注目点
*「入れ子」(大きな銅鐸のなかに小さな銅鐸が入っている状態をいう。加茂岩倉遺跡の銅鐸−入れ子30cm 大19 45cm 大20 (入れ子20組、内鐸1欠落)。
*同汎銅鐸(同じ鋳型で何個つくられたか。兄弟同氾)
*シカ・カメ・トンボ・顔などの絵画。×印12例
*どこで生産されたのか…近畿地方、九州地方、出雲地方など。
*銅鐸はほとんど偶然の機会に発見されている。集落を見おろす山の斜面などからの出土例が多く、意図的に埋められている。
◇青銅器の原料
弥生時代の青銅は、銅と錫の合金を基本とし、それに鉛を加えるのが普通である。
・原材料の入手方法、生産の方法、用途など、いまだに多くの謎に包まれ、解明できない点が多い。

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**あとがき**
〇史上最多の弥生時代の祭祀に使われた銅鐸は、出雲で作ったのか、近畿で作ったのか。いつ、誰が、何のために埋めたのか。
〇古代出雲には、強大な勢力を持つ王国・.地域国家があったのか。出雲地方の青銅器出土事情は、山陰中部世界の核心勢力の求心性と対外交渉の積極性・広域性を物語る。今後の島根県における大きな青銅器発見が予察される。

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平成30年前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全13回講義)は、7月17日で終了しました。
講師の先生並びに受講生の皆様に厚く御礼申し上げます。
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