梶井基次郎と〈京都〉−「檸檬」の世界−

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・日時:9月20日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:瀧本和成先生(立命館大学教授)
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梶井基次郎の略歴
1901年(明治34年)、大阪市生まれの小説家。「檸檬」「城のある町にて」「闇の絵巻」など20編ほどの短編小説を残し、1932年(昭和7年)31歳の若さ(ほとんど無名のまま)で病死した。
・梶井は、虚無と倦怠にむしばまれた青春を描きながら、みずみずしい感受性や繊細な観察に支えられた独自の作風を展開した。
・梶井は、旧制三高にから東大に進学するまでの4年半を京都で過ごした。(結核と怠学で2度も落第)。
・梶井の命日(3月24日)は、代表作の「檸檬」から「檸檬忌」とよばれる。
・大阪市西区の靭公園内に梶井の文学碑がある。(昭和56年に建立。碑には.「檸檬」の一節が刻まれている)。

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小説「檸檬」
◆作品の初出…1925年(大正14年)、同人雑誌「青空」創刊号に発表。単行本は1931年(昭和6年)、武蔵野書院刊。
冒頭文
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦燥といおうか、嫌悪といおうか−酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を飲んでいると宿酔に相当した時期がやってくる。…(以下、右の資料を参照)」

作品の概要
「えたいの知れない不吉な塊」を胸に抱いた青年が、京都・二条寺町の八百屋で買った「檸檬」(レモン)で、なんとなく幸せな気持ちになり、日ごろ重苦しく迫る「丸善」の美術書の上にレモンを置き、そのレモンが爆発するのを空想しながら立ち去るという物語である。」
・病気や借金に苦しみ、目的をもつことが出来ない無気力な生活の中にあって、空想という贅沢にふける主人公の心情を描き出した青春文学の秀作。花火やびいどろ(おはじき)へのあこがれ、壊れかかった街への愛着やどこか遠い町をさまよっているかのような錯覚。そうした主人公の心を慰めてくれたのが一個の檸檬であった。五感を刺激する檸檬の存在が、すべての憂鬱を吹き飛ばしてくれる檸檬爆弾の空想へと一気に流れ込んでいくのである。
・青春の倦怠、彷徨をテーマに詩情あふれる筆致で描いた珠玉の短編小説として有名。

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〇「檸檬」に描かれた〈京都〉−「私は」何処から来て、何処に行ったのか−
*作品中の「私」の足取り
(1)その頃、私は友達の下宿を転々として暮らしていた。ある朝、友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。
(2)何かが私を追い立てる。そして街から街へ。(中略)二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。(中略)その店には珍しい「檸檬」が出ていたので買物をした。
(3)どこをどう歩いたのだろう。私が最後に立ったのは丸善の前だった。
(4)そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。→つまり、「私」は三条から四条へと風俗的快楽を味わえる京極通りを下り、五条界隈の遊郭街へと歩をすすめていったのではないかと推測する。(瀧本先生)
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**参考文献**
『京都 歴史・物語のある風景』(瀧本和成 編集)(嵯峨野書院、2015年)