奈良盆地東南部の6基の初期倭国王墓


・日時:10月9日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:白石太一郎先生(大阪府立近つ飛鳥博物館 名誉館長)
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○「6基の初期倭国王墓
奈良盆地の東南部のやまとの地には、初期のヤマト政権の盟主(初期の倭国王)の墓と想定される大規模な前方後円墳が営まれている。
①箸墓古墳→②西殿塚古墳→③外山茶臼山古墳→④メスリ山古墳→⑤行燈山古墳→⑥渋谷向山古墳。…の順に造営されたと考えられる。
◆(1)箸墓古墳と西殿塚古墳
・《箸墓古墳:桜井市、箸中古墳群。三輪山の西の麓》−最初の王墓と考えられる箸墓(はしはか)は、墳丘長280mの巨大な前方後円墳。この古墳から、弥生時代末期の吉備の首長墓に立てられた特殊壺・特殊器台の流れをひく特殊壺形埴輪、特殊器台形埴輪が出土しており、3世紀中葉過ぎの古墳と考えられる。『日本書紀』は、三輪山の神オオモノヌシに仕えあた巫女の、ヤマトトトヒモモソヒメの墓と伝えている。⇒被葬者:三輪山の麓に営まれた箸墓古墳が、卑弥呼の墓である可能性はきわめて大きい。
・《西殿塚古墳:大和古墳群)二代目の王墓とされる西殿塚(にしとのづか)は.、墳丘長240mの前方後円墳で、箸墓古墳のものよりは新しい吉備型の特殊器台形埴輪が出土しており、3世紀後半の古墳であることが知られる。⇒被葬者:箸墓を卑弥呼の墓と考えて良いとすると、それに次ぐ2代目の王墓として卑弥呼の後継者である台与(とよ)の墓である可能性が高い。この古墳では、後円部と前方部に同型同大の方形壇が存在する。一方が宗教的・呪術的の王の台与であり、もう一方が、男兄弟での政治的・軍事的の王である可能性が大きい。


◆(2)外山茶臼山古墳とメスリ山古墳
・三代目の外山茶臼山古墳(とび ちゃうすやま)は、墳丘長200mの前方後円墳。四代目のメスリ山古墳は、墳丘長240mの前方後円墳で、ともに中心的な埋葬施設は後円部の竪穴式石室一基だけ。この二つの王墓は、すでに盗掘されていましたが、それでも多数の副葬品や多量の武器・武具とともに、腕輪形石製品などが出土。⇒被葬者:おそらく、三代目、四代目の倭国王は男性で、政治的・軍事的王権と、宗教的・呪術的王権をかねて備えていたと想定される。

◆(3)行燈山古墳と渋谷向山古墳
・五代目の行燈山(あんどんやま)古墳は、墳丘長240mの前方後円墳、六代目の渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳は、墳丘長310mという古墳時代前期では列島最大の前方後円墳である。
・両古墳とも未調査で、埋葬施設や副葬品は不明。ただ、埴輪の様式などから、行燈山が4世紀前半、渋谷向山が4世紀中頃の造営と想定される。⇒被葬者:行燈山は崇神陵、渋谷向山は景行陵を宮内庁は比定。両古墳の比定が合っている蓋然性は大きいと思われる。

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初期ヤマト政権形成時の倭国王の実像
・卑弥呼の晩年に西方の邪馬台国連合と東の狗奴国連合が合体して日本列島の中央部に初めて一つの政治的まとまりができる。これが初期ヤマト政権にほかならない。
・古墳出現の前提となる広域の政治連合の成立が、3世紀初頭の邪馬台国連合の成立にほかならないとすると、古墳の成立自体は、半世紀ほど後の出来事になる。
・定型化した画一的内容を持つ「前方後円墳」の創出は、新しい政治連合の政治秩序、政治体制の整備の一環と考えられる(共通の葬送儀礼を執り行い、共通の首長墓を営むことが、政治的連合関係の維持・確認に有効である)。
・最初の倭国王墓である箸墓が卑弥呼の墓である蓋然性が高いことを重視すると、倭国王、すなわちヤマト政権の盟主の王統が、卑弥呼に始まる可能性は少なくない。
・オオヤマト古墳群では、渋谷向山古墳以降の王墓はみられない。王墓の造営地は、その後曽布の佐紀古墳群、さらに4世紀末葉以降は大阪平野南部の古市古墳群、百舌鳥古墳群へ移動する。