講義日誌「文学・文芸」⑤・・・大伴坂上郎女〜佐保川のほとり〜

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・月日:4月25日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:影山尚之先生(武庫川女子大学教授)
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大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)(略歴)
・大伴坂上郎女は、「万葉集」に八十余首の歌を残す奈良朝の女性歌人。
・大伴安麻呂の娘で、大伴旅人の異母妹。初め穂積皇子(ほづみのみこ)(天武天皇の第六皇子)と結婚。皇子の没後、.藤原麻呂(ふじわらのまろ)(不比等の第四子)に求婚されたという。その後、異母兄・宿奈麻呂の妻となって.、二人の娘をもうける。
・大伴氏一族の女主人(家刀自−いえとじ)として働く。
・万葉集の編纂者である大伴家持に和歌の手ほどきをしたと考えられる。

大伴坂上郎女の歌
・《坂上郎女と藤原麻呂の贈答》(抜粋)
大伴坂上郎女が和(こた)ふる歌
「佐保川の 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬の来る夜は 年にもあらぬか」(巻四・525)
「来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを」(巻四・527)
(意訳)(あなたは、来ようと言っても来ないときがあるのに、来ないと言っているのに来られるだろうと待ったりはすまい。来ないとおっしゃているのだから。)
「千鳥鳴く 佐保の川門の 瀬を広み 打橋渡す 汝が来と思へば」(巻四・528)
佐保川
・佐保川は、奈良市内を流れる川で、坂上郎女の家は、その近くにあった。
・坂上郎女の家は、坂上の里(佐で保の西)の地に.住んでいたので、坂上郎女と呼ばれた。
・佐保の内とよんで、長屋王や大伴氏、藤原氏などの貴族が大邸宅を構えていた。(長屋王邸は、広さ4町、約1万平方メートルに及ぶ。)