講義日誌「文学・文芸」・・・井上靖『漆胡樽』−歴史の欠片

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・日時:5月9日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:浅田隆先生(奈良大学名誉教授)
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井上靖(いのうえやすし)略歴
・明治40(1907)年〜平成3(1991)年。小説家。北海道生まれ。京都帝国大学卒。旧四高時代に詩作を始め、京都大卒業までにいくつかの懸賞小説に入選。毎日新聞記者を経て、『闘牛』(昭24)で芥川賞を受ける。以後、『氷壁』(昭32)に代表される新聞小説、『しろばんば』(昭37)をはじめとする自伝的小説、『天平の甍』(昭32)等の歴史小説など幅広く活躍。文化勲章受章。

「漆胡樽」 (しっこそん)
・昭和21年、戦後初めての正倉院御物展が奈良国立博物館で開催された。井上靖はそこに展示されていた漆胡樽という大きい異様な器物を観た印象を、まず「漆胡樽」という詩に書いて、半年後に発表した。
・井上靖「漆胡樽」(昭和25年「新潮」散文詩)…(冒頭文)百余点の正倉院御物は奈良博物館の階下の八室に分けて陳列されていた。私は陳列されてある”漆胡樽”と名札にかかれている異様な形をした大きい器物の前に立った。…古文書類は、世評高いものだったが、初めから敬遠して殆どその前を素通りして、香炉とか鏡とか工芸品ばかりを覗き込んで歩いた。躊躇なしに、私の頭に閃いて来たのは、漆胡樽と称する、大きさ一抱えもある黒漆角形の巨大な一対の器物であった。(以下、省略)

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右の写真が「漆胡樽」
・遠い昔、西域日住んでいた人々が駱駝(らくだ)の背にかけて水を運ぶのに使っていたといわれる黒漆角型の巨大な樽である。
・それがいつ、どうしてか駱駝の背を離れ、海を越えて日本に伝えられ、正倉院に納められた。…二千年の時が流れ、突如、正倉院の扉が開かれる。昭和21年の秋であった。
・私(井上靖)は、この漆胡樽になんとも.言えぬ魅力を覚えた。美術作品ではなく、異国の砂漠の旅行者たちが実際に使ったに違いない生活の道具であった。…どうしてこんな物が正倉院の中倉にあったのだろうか。私には、千年の時空を落下してきた一個の隕石のようなものに見えていたのである。