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シニア文化塾だより
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2019/07/27のBlog
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・日時:7月16日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:森岡秀人先生(関西大学大学院文学研究科非常勤講師)
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〇経緯・経過
・仁徳天皇陵と伝わり、宮内庁呼称では「百舌鳥耳原中陵」とされる大山古墳の発掘調査が、昨年11月22日から実施された。(森岡先生も参加)。
・調査は、宮内庁書陵部と堺市文化財課の共同で発掘調査で、大山古墳の墳丘や周濠・外堤などの保全工事に際しての堤上での遺構の残上状態に照らした工法選択などに供する事前調査。…三重の濠の内側にある第一堤の南側2m×30mほどの調査区3ヶ所を発掘。→埴輪や石敷きを発見。(以下、省略)。

**世界遺産登録**
〇2019年7月6日、「百舌鳥・古市古墳群」は、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
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2019年(令和元年)前期講座(歴史コース)(3月~7月)は、7月16日で終了しました。講師の先生並びに受講生の皆様に厚く御礼申し上げます。。
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2019/07/01のBlog
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〇2019年「後期講座」(歴史コース)のご案内
・期間:令和元年9月~令和2年1月
・開催日:火曜日
・時間:午前10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
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◇講義日程表(*右の日程表をご覧ください)
・古代史から中世史・近現代史など、バラエティに富んだ「歴史講座」です。
・講義回数:全14回講義
【縄文時代】:1講義
【古代史】:5講義
・白石太一郎先生の著書『考古学と古代史のあいだ」を学ぶ講座もあります。
【奈良・平安時代】:2講義
【中世・戦国時代】:1講義
【江戸時代】:2講義
【幕末維新史】:1講義
【現在の国際政治】:1講義
[現地見学会]:(11月19日)和気清麻呂大和川付け替え痕跡、難波大道などを散策。
**講師:13名…各分野でご活躍の先生方です。
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★受講生募集
・定員:60名(7月中旬、定員になりましたので、締め切りました。)
・受講費用:14,000円(受講料1000円×14回講義)
☆申込方法
・往復はがきに住所・氏名・年齢・電話番号を明記の上、下記宛に申し込み下さい。
【申込先】:〒584-0062 大阪府富田林市須賀3-11-15 「シニア文化塾」事務局 常本宛
【問合せ」:シニア文化塾・事務局 常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
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2019/06/14のBlog
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★連絡事項(1)
白石太一郎 名誉館長 特別講演会
「百舌鳥・古市古墳群の語るもの」
(主催 大阪府立近つ飛鳥博物館)

・日時:令和元年 7月14日(日)13:30~15:00
・会場: 大阪府立近つ飛鳥博物館 地階ホール
・定員: 200名
・入館料: 一般 310円 / 高大生・65歳以上 210円
*当日受付にて、午前10時より整理券配布(事前申込不要)
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★連絡事項(2)
天野忠幸先生より連絡あり。…「来週の歴史秘話ヒストリアで、三好長慶が放送されそうです。」
・6月19日(水)「歴史ヒストリア」(午後10時30分~)-《信長より20年早かった男 最初の天下人”三好長慶”》-(NHK番組表)
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2019/06/12のBlog
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〇2019年「後期講座」(文学・文芸コース)のご案内
・期間:令和元年9月~令和2年1月
・開催日:木曜日
・時間:午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
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◇講義日程表(*右の日程表をご覧ください。)
・講義回数:全13回講義
【古典】:万葉集、源氏物語、平家物語、方丈記
【近現代文学】:井原西鶴、水上勉
【俳句】:芭蕉「奥の細道」、正岡子規
【和歌】:西行法師、石上露子
【能・狂言】:[復曲能]「管丞相」
【音楽】:シューベルト
・【現地見学】:(10月17日)京都の文学散歩-森鷗外「高瀬舟」ゆかりのコース

**講師:13名…各分野でご活躍の先生方です。
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★受講生募集
・定員:60名(7月中旬、定員になりましたので締め切りました。)
・受講費用:13,000円(受講料1000円×13回講義)
☆申込方法
・往復はがきに住所・氏名・年齢・電話番号を明記の上、下記宛に申し込み下さい。
【申込先】:〒584-0062 大阪府富田林市須賀3-11-15「シニア文化塾」事務局 常本宛
【問合せ】:シニア文化塾・事務局 常本(つねもと) 携帯:090-3990-3907
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〇シニア文化塾(文学・文芸コース)とは。
・名称:南河内シニア文化塾(通称:シニア文化塾)
・設立:2010年1月(今年で、設立10年目です)
・講座は、「文学・文芸コース」(定員60名)と「歴史コース」(定員60名)があります。
・年間を「前期」(3月~7月)と「後期」(9月~1月)に分けています。
・シニアであれば、地域を問わず、どなたでも参加できます。
・現在の受講生(文学・文芸コース)は、富田林市、河内長野市、大阪狭山市、河南町、千早赤阪村、橋本市、羽曳野市、柏原市、堺市、大阪市、守口市、橿原市(奈良県)から参加しています。(女性:45名、男性:17名)。
[**右上の写真は、今年3月7日(木)の「森鷗外と(京都)」-「高瀬舟」を読む(瀧本和成先生)の講義風景です。]
2019/05/16のBlog
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・日時:5月9日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:浅田隆先生(奈良大学名誉教授)
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井上靖(いのうえやすし)略歴
・明治40(1907)年~平成3(1991)年。小説家。北海道生まれ。京都帝国大学卒。旧四高時代に詩作を始め、京都大卒業までにいくつかの懸賞小説に入選。毎日新聞記者を経て、『闘牛』(昭24)で芥川賞を受ける。以後、『氷壁』(昭32)に代表される新聞小説、『しろばんば』(昭37)をはじめとする自伝的小説、『天平の甍』(昭32)等の歴史小説など幅広く活躍。文化勲章受章。

「漆胡樽」 (しっこそん)
・昭和21年、戦後初めての正倉院御物展が奈良国立博物館で開催された。井上靖はそこに展示されていた漆胡樽という大きい異様な器物を観た印象を、まず「漆胡樽」という詩に書いて、半年後に発表した。
・井上靖「漆胡樽」(昭和25年「新潮」散文詩)…(冒頭文)百余点の正倉院御物は奈良博物館の階下の八室に分けて陳列されていた。私は陳列されてある”漆胡樽”と名札にかかれている異様な形をした大きい器物の前に立った。…古文書類は、世評高いものだったが、初めから敬遠して殆どその前を素通りして、香炉とか鏡とか工芸品ばかりを覗き込んで歩いた。躊躇なしに、私の頭に閃いて来たのは、漆胡樽と称する、大きさ一抱えもある黒漆角形の巨大な一対の器物であった。(以下、省略)
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右の写真が「漆胡樽」
・遠い昔、西域日住んでいた人々が駱駝(らくだ)の背にかけて水を運ぶのに使っていたといわれる黒漆角型の巨大な樽である。
・それがいつ、どうしてか駱駝の背を離れ、海を越えて日本に伝えられ、正倉院に納められた。…二千年の時が流れ、突如、正倉院の扉が開かれる。昭和21年の秋であった。
・私(井上靖)は、この漆胡樽になんとも.言えぬ魅力を覚えた。美術作品ではなく、異国の砂漠の旅行者たちが実際に使ったに違いない生活の道具であった。…どうしてこんな物が正倉院の中倉にあったのだろうか。私には、千年の時空を落下してきた一個の隕石のようなものに見えていたのである。
2019/05/06のBlog
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・月日:4月25日(木)午後1時半~3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:影山尚之先生(武庫川女子大学教授)
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大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)(略歴)
・大伴坂上郎女は、「万葉集」に八十余首の歌を残す奈良朝の女性歌人。
・大伴安麻呂の娘で、大伴旅人の異母妹。初め穂積皇子(ほづみのみこ)(天武天皇の第六皇子)と結婚。皇子の没後、.藤原麻呂(ふじわらのまろ)(不比等の第四子)に求婚されたという。その後、異母兄・宿奈麻呂の妻となって.、二人の娘をもうける。
・大伴氏一族の女主人(家刀自-いえとじ)として働く。
・万葉集の編纂者である大伴家持に和歌の手ほどきをしたと考えられる。

大伴坂上郎女の歌
・《坂上郎女と藤原麻呂の贈答》(抜粋)
大伴坂上郎女が和(こた)ふる歌
「佐保川の 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬の来る夜は 年にもあらぬか」(巻四・525)
「来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを」(巻四・527)
(意訳)(あなたは、来ようと言っても来ないときがあるのに、来ないと言っているのに来られるだろうと待ったりはすまい。来ないとおっしゃているのだから。)
「千鳥鳴く 佐保の川門の 瀬を広み 打橋渡す 汝が来と思へば」(巻四・528)
佐保川
・佐保川は、奈良市内を流れる川で、坂上郎女の家は、その近くにあった。
・坂上郎女の家は、坂上の里(佐で保の西)の地に.住んでいたので、坂上郎女と呼ばれた。
・佐保の内とよんで、長屋王や大伴氏、藤原氏などの貴族が大邸宅を構えていた。(長屋王邸は、広さ4町、約1万平方メートルに及ぶ。)

2019/04/30のBlog
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・日時:4月23日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:松島泰勝先生(龍谷大学教授)
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琉球の歴史
・旧石器時代(1万8千年前)→貝塚時代(紀元前5千年前から12世紀まで続く)⇒グスク・三山時代(1100年)「各地に按司(あじ=領主)が出現し、グスク(城)を築き、村を支配」⇒第一尚氏王朝(1406年~)⇒第二尚氏王朝(1469年~)「15~16世紀頃の琉球王国は諸外国と交易」・・・《近世琉球》薩摩藩の琉球支配(1609年、島津氏が軍勢3千名で琉球を制圧)→1879年、沖縄県を設置し、日本に併合(琉球処分)→アジア太平洋戦争へ(以下、省略)。
◆(要約)
沖縄は、琉球王国という独立した王国で、中国や朝鮮、日本、東南アジアなど周辺の国々と交易して栄えていた。…明治維新後に行われた「琉球処分」で、沖縄は日本に組み込まれました。…アジア太平洋戦争では、日本軍にとって沖縄作戦は国土や国民を守るためでなく、本土決戦を有利にするための時間稼ぎの捨て石作戦にしかすぎなかった。
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**あとがき**
〇まさに、この日誌を記述している今(4月30日~5月1日).は、「平成」から「令和」に移行すると時です。われわれ、シニア文化塾に関係する先生および受講生は、「昭和」「平成」「令和」と3世代を.歩くことになります。・・・これからもよろしくお願いします。
2019/04/18のBlog
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・日時:4月14日(火)am10時~12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:北川央先生(大坂城天守閣館長)
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1.西国巡礼の信仰(本文)
・大和長谷寺徳道上人の開創(地獄からの蘇生譚)…養老2年(718)、大和・長谷寺の徳道上人が病んで仮死状態に陥った。すると、夢の中に閻魔大王があらわれ、「悩める人々を救うため、三十三ヵ所の観音霊場をつくるように」と告げたという。息を吹き返えした上人が、これを守り、近畿地方の三十三ヵ所寺に霊場を設けたのが、現在の西国三十三ヵ所の始まりと言われている。
・花山法皇の中興…平安時代中期、花山(かざん)法皇が熊野権現より廃れていた霊場を復興させるようお告げを受け、仏眼上人、性空上人らを伴って巡拝し、以後、西国巡礼が盛んになったという。

2.西国巡礼の歴史(史料)
・行尊・覚忠の巡礼:『寺門高僧記』…11世紀~12世紀、三井寺の行尊と覚忠が巡礼。三井寺の僧の伝記をまとめた『寺門高僧記』に二人の高僧による三十三ヵ所巡礼記が収められている。巡礼の日数は、行尊は120日、覚忠は75日を要した。現在のような形となった西国巡礼は、応保元年(1161)頃。
・『竹居清事』(ちっきょせいじ)…永享(1429~1440年)頃、「巡礼の人、道路織るがごとし」と、その盛況を記している。
・『天陰語録』(てんいんごろく)…(1422~1500年)頃、「巡礼の人、村に溢れ里に盈(み)つ.」。各々、その背中に《三十三所巡礼某国某里」と書いた布をつけていると伝える。そして、その姿の者からは、「関銭」を取らず、船頭は「舟賃」を要求しなかった。
(以下、省略)
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西国という呼称
・西国巡礼の順序は、当初は大和長谷寺から御室戸寺、または那智山より御室戸寺への順路であったが、室町時代には、東国の人々向きに那智山から谷汲という現行の順路が固定したようである。
・この順路は、東国の者が伊勢神宮を経て、札所を打ち始め、終わって信州善光寺へ.詣でるのに好都合である。.
・善光寺は、番外札所的参詣所として、西国巡礼信仰と強い結びつけを持っている。
**(史料)『天陰語録』に「始干南紀那智。終干東濃谷汲。」とある。
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**あtがき**
・1200余年の昔、大和長谷寺の徳道上人によって創設。988年花山法皇の手で中興されたと伝えられる西国三十三ヵ所。2府5県にわたるこの最も古い観音霊場は、今日も多くの巡礼者が詣でる。
・江戸時代、封建的身分制度の.厳しい.時代の時、比較的自由に出かけられるのは、神仏参拝を目的としたものであり、巡礼もその一つである。