講義日誌「歴史」①−「戦国時代の下剋上」

〇2019年後期講座「歴史コース」が、残暑厳しい中、スタートしました。
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・日時:9月3日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:天野忠幸先生(天理大学文学部)
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戦国時代の戦いは、約100年〜150年の及ぶ内乱の時代
(1)始まりは、「応仁の乱」(1467年)or「明応の乱」(1493年)
(2)終わりは、小田原攻め(1590年)or「関ヶ原の戦い」(1600年)or「大阪夏の陣」(1615年)
(3)1560年代までは国内の統一戦争→1560年代より他国との戦争、領土拡大の戦い(武田信玄、上杉謙信、今川義元、毛利元就、織田信長)→1580年代より全国統一戦争(豊臣秀吉、徳川家康、長曾我部元親、伊達政宗)

〇下剋上とは…室町時代において、社会的に身分が低いものが、身分の上位の者を実力で倒す風潮をいう。
戦国時代の下剋上
・戦国時代の各地の勢力は、その多くが鎌倉・室町以来の守護家・有力領主であり、新勢力として勃興した家も、大部分が守護代家やそれに準じる家からの権力を確立している。
・多くの場合、守護家の人間を立てて戦う。せいぜい守護代家が代わる。それ以下の身分からの乗っ取りはきわめて少ない。主家に代わると、室町幕府体制に位置付けを望む傾向。

●各地の下剋上の例:西国 陶晴賢・毛利元就と大内氏
・西国の覇者−大内氏…周防・長門・豊前・筑前、石見、安芸・備後を勢力下に。
・1551年(天文20年)、当時西国で最強の大名であった大内氏の当主義隆が、重臣陶晴賢のクーデターによって命を落とした。享年45。→しかし、その後の晴賢が主家にとって代わったかと言うと、必ずしもそうではない。大内氏の血統を護持、将軍の承認、室町の家格秩序を守る。→毛利氏の台頭。 (以下、省略)