講座日誌「文学・文芸」②−「水上勉・文芸の特質」−捨てられた身と、捨てた立場の哀愁

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:9月12日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:吉村稠先生(園田学園女子大学名誉教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
水上勉(みずかみ つとむ)略歴
・大正8年(1919)〜平成16年(2004)。小説家。福井県生まれ。
・9歳から17歳まで、京都の相国寺(臨済宗の本山)で徒弟生活を送る。立命館大学国文科中退。以後、戦中・戦後にかけて、幾多の職につく。
・松本清張の『点と線』に感銘を受ける。
・昭和36年(1961)、少年時代の体験に基づく『雁の寺』で直木賞(第45回)受賞。
・代表作は、『飢餓海峡』、『越前竹人形』、『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』など。

作家水上勉の内面形成
(1)母親の像:私(水上勉)は、父親が、あまり仕事に精を出さなかったので、母親は5人の子供もを抱え、小作をしながら養っていて、貧乏のどん底だった。私を口べらしのために、寺にあずけた。→母親に捨てられたという思いと孤独感。
(2)水上勉と窪島誠一郎『父への手紙』
水上勉父子再会:「朝日新聞」スクープ記事(1977年8月4日)、”捜し当てた父は水上勉”。…窪島誠一郎「わたしは、戦時中(2歳のとき)父親と離別し、その後養父母のもとで、実子として貰いうけられ育てられた子で、戦後30年も経ってから父と再会した。(小柄な父窪島茂。容貌の似ていない母はつ、そして大柄な自分→ふと生じた両親の容貌への疑問と父探しへの思い)。

◇窪島誠一郎氏:1941年生まれ。画廊の経営者、「無言館」(戦没画学生慰霊美術館)開設(1997年)。…父を探し続けること20年、ついにめぐりあった父は−水上勉だった。奇遇なことに同じ町内に住んでいた。そして、窪島氏は水上作品の愛読者、父は売れっ子の直木賞作家。

◇作家水上勉の凄味:複雑、泥沼、不道徳、罪悪感を抱え込み、弁解せぬ生き方・究極の作家像。…父水上勉は「わが子は戦火で.死亡ときいた」。−捨てた立場の哀愁−(水上勉は、わが子を探すことはしていない)。(以下、省略)。