講義日誌「歴史」③−「三輪山の古代史」-蜂に捉われた三輪山の神-

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・日時:9月24日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平林章仁先生(元龍谷大学教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◇復習…「三輪山の古代史」(4回シリーズ)は、今日は、最終回の第4回で「蜂に捉われた三輪山の神」。
(1)三輪山は神が宿る山。ヤマト王権が祭ったのが「大物主神」で、大物主神が宿るのが三輪山。→[大神(おおみわ)神社・三輪明神]は、大物主神をまつる神社。拝殿はあるが、本殿は無く、三輪山を御神体としている。この大神神社の西北には、初期ヤマト王権の王宮跡と目される纏向遺跡が広がり、その一廓には最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳がある。
(2)三輪山(大物主神)の神婚神話
神様と女性が結ばれる伝承で、『古事記』、『日本書紀』に伝えられる。当時の人は、神にも男女の別があるとした(大物主神は男性)。…古代の神話伝承が、歴史的事実を述べたものではないが、背景には人々の神への信仰やそれと結びついた祭礼・儀礼が存在した。当時の精神文化を知ることができる。
・(第1回)苧環(おだまき)型神婚神話:麻糸で結ばれた神と女の物語
・(第2回)丹塗矢(にぬりや)型神婚神話:丹塗矢を用いた厠(かわや)での神婚神話。
・(第3回)箸墓(はしはか)型神婚神話:箸で死亡した女と墓の物語。定型化した最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳の起源をも語る
・(第4回)蜂に捉われた三輪山の神:機織文化と雷神信仰と秦氏

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇(第4回)蜂に捉われた三輪山の神
・(物語の前半)…皇后の養蚕に必要な蚕をめてくるように命じられた蜾臝(すがる)(人の名)が、間違って嬰児を集めてきた。天皇は彼に嬰児を養育させ少子部連(ちいさこべのむらじ)を賜姓したという。→少子部連の氏姓と職掌の起源譚。…呉国(中国南朝)が使いを遣わして貢物を賜った。
・(物語の後半)…天皇の命令で蜾臝が三輪山の神である大蛇を捕まえて見せたが、天皇が斎戒していなかった。大蛇は目をキラキラと光らせたので、恐ろしさのあまり天皇は見ないで殿中に退去した。大蛇をもとの山に放たせ、蜾臝には雷(いかつち)の名を与えたという。→少子部連の祖先の功績と雷の名の由来。
・蜾臝(すがる)は、昆虫のジガバチのことである。(中国最古の詩歌集『詩経』)に記載されており、青虫など他の幼虫を集めて巣に貯える習性がある。)
・秦氏の発展と三輪君氏の権威低下…雄略天皇は、少子部雷(ちいさこべのいかつち)を遣わし、隼人を率いて、バラバラになっていた秦氏を一つに集めた。秦公酒が秦の民を率いて、多量の絹を織成・貢進(丘のように積み上げた)。→秦氏の祖先譚且つ太秦(うずまさ)の起源譚。
・雄略天皇紀j十四年正月・・・呉国(中国南朝)の宋より渡来した、高度な技術を有する織姫たち、機織縫製集団が大三輪神(大物主神I)に奉献された。これにより、大三輪神の祭祀に中国南朝系の文化の影響が強く及ぶようになった。この少し前に、石上市辺宮王家の衰退の際に大三輪神の神威が低下していたこともあって、少子部連蜾臝のよる大物主神の補足譚を成立させた。(以下、省略)