2016年12月度・2017年1月度 コラボ大学校

テーマ:「安徳天皇の謎 〜御生存説とその御陵墓を巡りて〜」
語り手: 東 慈性さん(安徳天皇古跡研究会)
日 時: 2016年12月10日(土)【前編】・2017年1月14日(土)【後編】

平成22(2010)年10月に「三島由紀夫文学入門」、平成26(2014)年9月に「御創建千年で初刊行『豊中八坂神社御由緒略記』を読む」をコラボ大学校で講演いただき、今回で3回目のご登場です。前回同様、東さんが講演タイトルを毛筆で記した演題幕を持参され、スタッフ皆で貼り付けました。

講演へ入るまえに、川上時子さんによる
ピアノ演奏をお楽しみいただきました。

・モーツァルト作曲 ソナタK.310 イ短調 第一楽章
(2016年12月度)
・モーツァルト作曲 ソナタK.310 イ短調 第三楽章
(2017年1月度)

第81代安徳天皇は壇ノ浦合戦(1185年)において二位尼(平清盛の妻時子)に抱かれ、海水に入水し崩御なされたと『平家物語』巻第11・先帝身投の章に記されています。ところが、この『平家物語』の記述に反し、実はその戦乱を密かに逃れ、二位尼とそのお供らとともに生き延びられたとする伝承地が全国各地に語り継がれていて、その数は西日本を中心に20数か所とのこと。大阪近郊では能勢町に存在します。
東さんは全国各地の伝承地を調査のために訪れ、その結果を歴史研究誌に寄稿したり、伝承地の地元自治体で安徳天皇に関する講演を行ったり等の活動をなさっています。

鳥取市出身で、ご実家がお寺とおっしゃる東さんが、お父様から「鳥取市の郊外に美術様式を持った天皇陵墓がある。実に立派なお墓だ」と聞かされたのは小学6年生から中学入学にかけてのころ。当時の東さんは「美術様式を持った天皇陵墓」に強烈な印象を受けたそうです。月日が経ち、この「美術様式を持った天皇陵墓」は「安徳天皇陵墓」であると約400年前に記述された古文書が実家のお寺に伝わっていることを知った東さんは、昭和62(1987)年に初めて「美術様式を持った天皇陵墓」=「岡益の石堂」を訪問。ここから安徳天皇御陵墓研究が始まります。

「岡益の石堂」をはじめとする、宮内庁が「安徳天皇御陵墓参考地」に指定、管理してる古跡は、一般観光客はもちろんのこと調査研究目的でも内部へ立ち入ることが出来ません。

東さんが実際に訪れた全国各地の「安徳天皇御陵墓」は、以下のとおり。

◇安徳天皇阿弥陀寺陵(山口県下関市阿弥陀寺町・円墳)
◇安徳天皇鞠カ奈呂陵墓参考地(高知県高岡郡越知町)
◇安徳天皇陵墓参考地「岡益の石堂」(鳥取県鳥取市国府町岡益)
◇佐須陵墓参考地(長崎県下県郡厳原町大字久根田舎)
◇伝 安徳天皇陵跡(熊本県上益城郡清和村)
◇上岡田五輪塔群(鳥取県八頭郡郡家町姫路)
◇花園御陵墓参考地(熊本県宇土市立岡町晩免)

【後編】では、「岡益の石堂」が持つ「美術様式」についての
お話がありました。

この記事を書いている担当も、春になったら
蟹とコーヒーも楽しみつつ鳥取砂丘観光を兼ねて
「岡益の石堂」を訪ねてみたいと思います。

千里図書館司書の久山さん(2016年12月・写真)、江口さん(2017年1月)より
関連図書紹介がありました。
ズバリ、安徳天皇!という本は数が少なく
「平家物語」をキーワードにした図書紹介となりました。

東さんは今回講演のためにA4サイズ・20ページにわたる
詳しい資料を【前編】・【後編】それぞれ作成なさいました。
その労力に深く感謝いたします。

※2017年2月追記 (ツツミ)