皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。

いつもの年より家で過ごすことの多い夏が過ぎてゆきます。

弱い閉塞感とけだるさの中で、普段をどう楽しむかに、庭の小さなアサガオの鉢に僅かな答えがある気がします。

さて、このコロナの流行の中でメディアに触れていると、どうしてもうんざりするようなけたたましさに疲れてしまうことがしばしばあります。

そんなときは、ムニュはなるべく静かな環境を整えてゆっくり呼吸を整えます。
そうすると、自然とこの地球上において、生きている、暮らしているのは人間だけではない、獣や昆虫、鳥、魚、小さな微生物まで、さまざまな生き物の「生きる現場」があることに思いを馳せます。

それらはやはり生き死にの現場で、時にやはり修羅場であることには間違いないのですが、人間の世界に比べて圧倒的に「静か、静寂」なのではと思います。

そこに、なぜ人間は留まれないのか。
人間がその「静寂」に身を置くと、なぜかそこにおいて何かを「発する」「声を上げる」という生き物なのかな?と思います。

暗闇において火を焚き歌う、祈りをささげる、星を眺めて神話を紡ぐ、呪文を唱える、孤独を詩にのせるなど、「静寂」という危機において、自分を確かめるように、刻むように言葉を発する。
そこに、人間が自分たちは何者で、何に向けてエネルギーをぶつけてゆくか、天に、自らに強く問い続けている存在である気がします。

広く、静かすぎる大地と海、空にその声が溶けてゆくだけとしても、何を震わし震えていくのか、その端切れだけでも掴めたらと思います。
 ムニュ