皆さまこんにちは。ころころ通信委員のムニュです。
引き締まるように冷えた空気が満ち、虫の音や鳥の声、夜の月の光などがキラキラとエッジを立てて輝いて来ています。
日に日に斜めになる陽の光を受けながら、自分の中の秋の実りに耳を澄ませています。
さて、子供の遊びのなかに、「フルーツバスケット」と呼ばれるものがあります。
幼稚園や保育所などで経験された方もあるかもしれませんが、ルールとしては、椅子を外向きに丸く置き、一人ずつ座り、数人単位で、「イチゴ」や「ブドウ」、「リンゴ」などとグループを作ります。
鬼となった人が、「イチゴ!」などと掛け声をかけたら、呼ばれたグループが立ち上がり椅子を取り合います。
その際、椅子は人数より一つだけ少なく、座り損ねた人が次の鬼になります。
その掛け声の中で、「フルーツバスケット!」というのを掛けられたら、どのグループも全員立ち上がり、椅子を取り合います。
次はどの掛け声がかかるか、椅子を無事に取れるか、「フルーツバスケット!」の掛け声の時の大騒ぎと緊迫感にワクワクした遊びです。

ですが、その後の人生において、この遊びの意味の深さをしみじみと噛みしめることが多々ありました。
度重なる時代の変化や社会の混乱に、まるで目に見えない<鬼>が、何かの掛け声をかけている、いろんな立場や職種、年代の人達が、次々に混乱やありようの変化を求められている、混乱しながらなんとか次の<椅子>を取ろうとうろたえ、そして、時折社会全体が「フルーツバスケット!」と全員椅子を取りあうよう<<リセット>>される。
混乱の中で、ひとりひとり次の椅子を確保し、落ち着いた中で、また椅子を取り損ねた次の<鬼>の一声を待っている。
ふらふらとした頭で、混乱と安定の中で、ゲームは続いていくのかと思います。

 ムニュ