本当の強さについて考えています

33才、通信制高校3年生の冬から、進学先は決まっていたので、卒業見込みということで、あるレストランの皿洗いのアルバイトをしました。
結局、大学に入学してしばらくまで働いていました。

その皿洗いのバイトはすごくきつかったのですが、沢山の事を学びました。
世の中というものは、そんなに甘くはないという事。
そして僕は厳しい状態—立場にあり、世の中はそう簡単には認めてはくれないという事。

若く見た目も良い少年たちは、通常の皿洗いを経ずにウェイターになったりします。
僕はキツい仕事をして、店長のどやきに耐え、自己のコンプレックスにも悩まなくてはなりませんでした。

結局は耐えきれなかったのだと思います。大学に入学してしばらくして、そのバイトを辞めてしまいました。

あれから3年近くがたちました。そして今、考えます。今ならどうするだろう。続けるだろうか。
社会、自分の沢山の事柄、家族への思い、本当に沢山のことを考えます。

自分に自信がないのだからコンプレックスが強く、そのコンプレックスを責められるのだから、そこでひとまず引くというのも生き方のひとつだと思えます。

弱さも人間の大切な要素のひとつです。
そこで強く生きてみるのも、大きなチャレンジでしょう。散々に叩かれても、バカにされても、続けてみる、居続ける、それには本当に強い意志が必要ですし、それこそ賞賛に値するでしょう。

ですがその強さを試したことで、体調を崩してしまっては、元も子もありません。
その兼ね合い・バランスを取ること、自分のプライドと誇り、様々な人との関係性、厳しいものがあっても皆がそうではなくて、僕の場合でも、優しく対等に接してくれる人も居ました。励ましてくれる人も居ました。

見てくれる人は、人の本質を見てくれます。
必ずそういう方々は居ます。
そんな中で人を見る目は磨かれてゆきます。

でも焦る必要はないのです。それは難しいことだと思いますし、チャンスはエネルギーを取り戻し、別の経験を積んだ後でも必ず何度でも訪れます。
今の今、ダメだったとしても、次、次の次とチャンスは幾らでも来るのです。

オオカミのような生き方をしなくても良いわけですし、ヒツジだって懸命に生きているのです。
強ければいいというわけではないと思いますし、ですが優しさだけでは生きてはいけないのかも知れません。

でも本当の強さってどういうことなのだろうと、最近よく考えるのです。

松尾