14日のほっと・HOTで、松尾くんは何事も一気にガーッとやってしまうところがあるのかな…という話題になって、
例えば、ほっとニュースを作成するのだけれど、夜中パソコンに向かって作成し始めて、いつの間にか明け方まで作業してしまったり、そういう(不器用な)生真面目さが僕にはあって…という話になりました。
そう考えてみれば、僕は少年時代から、特に思春期に入ってからは、こうでなくてはいけない自分に対する思い込みが強くて、
それは格好もよくて、勉強も出来て、部活でも大活躍でみたいな、理想の自分がいました。
実際の僕は全然違っているのに、こうでなくちゃいけない自分が、不登校になって学校に行かなくなってからも絶えずいて、国立大学に在学していて、ベンチャー系の会社にアルバイトとしてバリバリの戦力となり働いていて、なんて考えていました。
こうでなくちゃいけない自分の理想—ハードルが高過ぎたのですね。
自分は”トップクラス”にいなくてはいけないという思い込み。
何から何まで完璧な自分でなくては納得出来なくて。
そして、その理想と現実のギャップ—こうでもいいんじゃないか、こんな自分でもいいんじゃないかと少しずつギャップを埋めて行きました。
成長なのだと思っています。
それは強迫的ですらある思い込みを少しずつ解いてゆく、心を柔らかくしてゆく、
成長して行く心の作業—過程なのでしょうか。
こうでもいいやん、生きているんだから!! という物事(自分を含めて)に対する優しい視点になってゆく、
こんな僕だけど、これがありのままの僕なのだからと、自分自身を受け入れてゆく、
開き直って来だして、目標は持ってはいるのだけれど、理想に対して変な強情さがなくなってゆくのです。
でもありのままそのままだと、他の人に迷惑を掛けてしまうので、人にはなるべく優しくいたいという思い。
こう考えて行くシフト・転換。
昨年の11月に36才になったのですが、本当にごく最近なのです、開き直れて来ているのは。
でもまだ、こうしなくちゃいけない自分。結果を出したい自分が強かったりするので、
それで収入を増やそうとヘルパーの仕事を増やして、オーバーワークになって、すっかり体調を崩してしまったのですけど…。
体調を崩している時は、健康第一ですから、仕事なんてしようがない、という感じで、
とにかく健康を早くに取り戻そうと一心なのですが、
今、こうして体調が少しずつ戻ってくると、又、早く結果を出したい自分が出てきて、今日のほっとでその部分を指摘して頂いたような気がしたので、やはり焦る事はないのかなと考えています。
焦る気持ちはあるのだけれど、こうでなくちゃいけない自分は、結局は優しい自分がメインのはずだから、だから気負い過ぎないで、無理はせずに、自分も楽しく優しくなれて、
人に優しくするということは、とっても楽しいことなのだから、現在の自分は心からそう思っているのだから、こうでもいいやん、こんな僕でもいいやんで行って、でもやりたいことも沢山あるから、無理をしないペースでやって、(体調を崩すなんて事は絶対に避けて)
ありふれた言い方なのかも知れないけれど、楽しく皆さんと関わって生活したいなと強く思うのです。
自分が誠実で優しくさえいれば、例え仕事や勉強が下手であっても、必ずこんな僕でも認めて下さる方々はいるから、
安心して、そう何よりも安心して、これからの生活—人生を歩んで行きたいです。
松尾