鑑真和上・唐招提寺フォーラム

去る 3月30日に、「神戸ー奈良間」が鉄道によりひとつに結ばれたことを記念して、松方ホールにおいて標記フォーラムが開かれ参加してきました。(平成21年5月2日開催)
 まず第1部は、後述の3人によるパネルトークで、最初に、唐招提寺長老の松浦俊海氏から『共結来縁』と題し、本日の一期一会の縁をはじめ、阪神間の方々と奈良の人々が共に縁を結ぶことの大切さを話された。
 続いて、唐招提寺金堂の10年にわたる大修理を担当された鈴木嘉吉氏から、永年の経過による支柱の内倒れ懸念から、修理・解体に至った説明を受けた。
 特に解体により、「資材の年輪調査による時代の判明」「彩色を施した華やかであったであろう金堂」「日本式と中国式をうまく使用した建築様式」等々、興味の尽きない内容に少なからず感銘した。
 パネルトークの最後は、奈良国立博物館学芸部長の西山厚氏による『鑑真和上・ふたつの謎に迫る』で、具体的には①鑑真は言い伝えのとおり失明していたか。②なぜ危険を冒してまで日本にきたのか。・・・の謎にメスを入れられた。
 ①については、本人の手紙が現存していることから、若干ではあるが来日直後は目が見えていたと思われること。
また、②については、これはもうポリシーそのもので、法事や戒律を広めるためであり、『正しい授戒をすれば、釈尊の精神につながり、皆んな幸せになる。』との信念以外何もないとのことであった。
 第2部は、女優である紺野美紗子氏による『天平の甍(井上靖作)』の朗読で、内容は、日本の僧が唐に渡り鑑真和上に来日を依頼し、その鑑真が12年の歳月を要して艱難辛苦の末、日本に来て仏教を広め、唐招提寺を創建する物語であった。
 最後の第3部は、前述の4人によるフリートークで、今奈良で行われている『鑑真和上展』について、奈良時代の資料が多く残されている意義の感慨を、各々の立場から話され、1200年前が以外と近いことの驚きを熱ぽく語られた。
 平成に生きる我々としては、昔のものをどのようにして今後後世に伝え、残していくかを改めて考えさせられたフォーラムであった。