遺伝については「それも疑われる」という説もある。
私の経験でも「自分の問題、気持ちを最優先で、第三者的視点を持てない人」が必ずどちらかに居、片一方が子どもの問題の前にかなりな負担をかかえ、自分を曲げてしまっている場合が多い。

そういう人であっても何処でも態度が変わらなければそれも一つの性格であろうが、困ったことに「外ではまったくいい人通っている」のだ。
また妻、息子に対して暴君であっても娘に対してだけはやさしい、というような場合もある。

子どもがそれを見て育つという家庭環境問題がある。

それだけならある意味よくあることで済むのかもしれない。
しかし、それにプラス、学校でのよくない体験の積み重ね、何らかの発達障害を持ち、それも周囲に理解されず、というようなことが重複的になって発症すると私は感じているのだが。

安心、安全、バックボーンのしっかりした環境では育っていない事が見えることが多い。

母親に対してまず怒りを向ける子どもが多いが、それは母親が「悪い」というわけではない。人の顔色を見て行動せざるを得ない状態の母親に対して「間違ったことには間違っていると言え!」と促しているように私には思える。

夫などからの無理な要求に「NO」が言えたら、子どもの無理な要求ににも「NO」と言えるのだが、それができないで悪い方向に向かってしまうと私には見える。

これもまた、実は、社会全体のありかたが影響していると私には思えるのだが…。