2009(平成20)年度FCCフォーラム 特別講演会 『社会的共通資本と土木』 特別講演 後半

〜空海の志。社会的共通資本としての満濃池とコモンズの原点。

 もうひとつ、川に関するシビルエンジニアリングという題でお話します。私としては印象深い空海の話です。空海はご存じのように、古代日本の最高のシビルエンジニアと言われています。それは、空海が讃岐の「満濃池」の大修復をしたことに由来します。

 空海は讃岐で生まれて、若くして優秀でした。確か830年ぐらいですか、31歳ぐらいのときに留学僧になって中国の長安に行きます。その当時、遣唐使について留学僧が何人か行く。そういう人たちは20年くらい中国にいて、単に仏教の勉強をするだけではなくて、中国の社会、制度、技術を学んで帰ってくるという役割を担っていました。空海は2年で帰ってきます。そして、そのときに詫び状を朝廷に出している。いかにも空海らしく、自分は学ぶべきものはすべて学んだというふうに書いています。実は、空海は長安にいたときに法顕という人の本を読んで、そして日本に帰ってきて間もなく満濃池の大修復に従事するのです。その法顕は、唐宋時代4世紀から5世紀の中国の高僧で、インドに仏教の勉強に行くわけですが、足を伸ばしてスリランカに行って滞在します。そして、スリランカでの体験を書物に詳しく記しています。このスリランカは年に2回モンスーンがあって、そしてその後、全く雨が降らない。そのころのスリランカはシンハリ王朝です。スリランカはもともと紀元前3世紀ごろから大体紀元10世紀にわたって幾つかの王国ができましたが、世界最高の水利文明を誇っていました。その中心が灌漑用のため池です。当時、スリランカの人が住んでいるところは高地でした。ですので、年に2回モンスーンで降った雨をどうやってためておくかということで、全国網の目のように見事な灌漑用のため池のシステムをつくっていました。巨大なため池から小さなため池まで、うまく計画して、そして構造的にも非常によいものです。今でもわずかですが残っています。そのようなすばらしい構造をもった灌漑用のため池のシステムをつくったわけです。アヌラーダプラが都でした。1,000年にわたって都だったところですけど、そこは古代世界で最も美しい都と言われています。そこでは、樹木がたくさんで、緑が豊かで、そして水がうまく配水されるようになっている。単に農業用水だけじゃなくて、街路樹から個人の家の庭まで配水していたというふうに言われています。

 これからは私の推測ですが、空海はそれを読んだと思います。自分の故郷の讃岐と全く同じなのですね。讃岐は年に1回ですけど、雨が降って、あとはほとんど降らない。しかもスリランカと同じように高地で、そして、あるところで非常に急な崖になって、なかなか水が貯められないような状況です。そこで、満濃池という大きなため池を、周りが20キロぐらいある日本最大のため池ですけど、それをつくった。でも間もなくして、7世紀にできたが、壊れてしまって全然使えなくなった。そこへ空海が帰ってきて、大修復の事業を成功するわけです。そのとき空海は朝廷に願い出て、「別当」という職をもらいます。そして、別当として故郷に帰ります。それは工事の総監督です。もう既に、空海の名声は非常に高く、周辺の農民3,000人とか記録に残っていますが、日夜を徹して非常に短時間に大修復を成功するわけです。これが、その後、多少壊れることもありましたが、その時々に修復されて現在も使われています。

 空海は、単に技術的あるいは構造的な面だけでなくて、どういうルールで大勢の農民が満濃池を使うかということについて、非常に詳しいルールを作って残しています。それは、例えば水を、働き手のいない家とか、病気の人とか、あるいは年寄りとか、そういう非常に条件の悪いところから先に配るというルール、そういうものです。それから、それぞれの田んぼに水を配るのですが、そのときに仏さんに供える線香を使ったんですね。線香が焼け尽くされるまで、ある1つの田んぼに水を配るわけです。今でもこれは使われていて、線香水といいます。こういうようなルールです。要するに、満濃池というのは大切な社会的共通資本ということです。それをみんなが力を合わせてつくって、そしてまた、それを維持していくための非常に厳しいルールを残しています。そのルールをどう作ったらいいかというときに、貧しい人、弱い人、あるいは年取った人、そういう人たちを絶えず優先していく。コモンズとして管理、維持していく。このことは今に残っていて、現在でも讃岐、四国では、空海、弘法大師の遺徳というのを、土地の人たちは非常に深く感じています。空海はそれから日本中を歩いて、特に、灌漑用のため池を中心に大きな足跡を残していくわけですね。

 私はエジプトのナイル川の昔の使い方というのはよくわかりませんけど、多分、同じようにコモンズ、社会的共通資本として、みんなの財産として大切に使ったのだと思います。ある特定のダムを造って近代化を図ろうというようなことよりも、農民たちがすべて安心して、公平に豊かに生活できるようにナイル川の水を使うという気持ちが恐らく中心になっていたと思います。

 空海の場合、そういう意味で、日本のコモンズの原点、社会的共通資本としての灌漑用のため池、あるいはもっと広く社会的に重要な施設とか自然環境を、どうやって維持していくかということについて、技術的な面だけでなくて、そういった社会的な面についても非常に大きな足跡を残したと思います。私は社会的共通資本というものを考えるときに、いつも空海の業績というか、志というのをいつも心に留めています。

〜TVA。社会的共通資本としてのニューディール政策と現在の大恐慌。

 水の話題に関連して、アメリカのTVA(テネシー・バレー・オーソリティー)の話をちょっと入れたいと思います。

 今、100年に一度という大変な大恐慌が世界を襲っています。日本はまだ被害が少ないほうですが、やがて日本もかなり深刻な形で巻き込まれていくと思われます。この一番の根源的な原因は、1970年代からの市場原理主義という考え方にあり、それがアメリカの政治、経済、行政、金融を支配してきました。その考え方を唱えたのは、ミルトン・フリードマンという経済学者です。彼は、社会的共通資本という特別なものは一切否定して、すべてを儲けの対象として考えます。社会的共通資本という大事なものをみんなで守っていくということではなくて、フリードマンは、いわゆる競争的、資本主義的な社会、経済を強引な形で主張し続けました。私もシカゴ大学でフリードマンと8年ぐらい前後して一緒にいましたけど、フリードマンの強烈な、アクの強い生き方にほとほと閉口しました。

 彼は、市場原理主義のなかで、人生の最大の目的は儲けることだといっています。倫理的、社会的、文化的、そういうことは、儲かるかもうからないで決まっていくといっています。すべてを民営化して、規制を取っ払って、できるだけ儲けが大きくなる機会をつくっていこうというのがフリードマンの考え方です。とてもアカデミックな論文にはなりませんから、フリードマンは日常的に、機会があるごとに、そのメッセージを広めていきました。

 そのフリードマンが一番焦点を置いたのが、ルーズベルト大統領のニューディール政策を否定して、全く元に戻してしまうということだったのです。1929年の大恐慌では、株式市場で10月から12月にかけて2度大きな暴落がありました。そしてその後とうとう回復することなく、ルーズベルトが大統領になってニューディール政策を打ち出すまで、アメリカの経済は惨憺たるあり様だったんですね。

 そのときに大恐慌を起こした一番の原因は、株式市場でのバブルの形成でした。銀行がそれを煽っていたわけですね。10%ぐらいの証拠金で株式の売買ができるということで、大変なブーム、すなわちバブルが起こったわけです。その1929年の株式暴落は金融恐慌だったわけですけど、その当時の支配的な考え方は、アーヴィング・フィッシャーという経済学者、イエールの教授が中心になってつくられていました。大統領は共和党のフーバー大統領でした。そして、1929年10月から33年3月までの3年半ほどの間に、フーバー大統領はアーヴィング・フィッシャーのアドバイスを受けて公共支出を減らし、そして増税までしたんですね。株式暴落は大変な事態なのですが、市場に規制を設けてはいけないというのが彼らの一貫した主張でした。結局、ルーズベルトが大統領になったときには、国民所得がこの間に大体半分以下になって、それから金融機関が1万件近く倒産しました。そして、失業率が農村を除くと37.5%という状況が3年以上も続いたわけですね。

 そこでルーズベルトが大統領になって最初の閣議で、法務長官のカミイングスがこういう発言をしました。今度のことはアメリカに対する公然たる戦争行為だと。そして、アメリカには対敵取引法というのがあるんですけど、それを適用すべきだと言いました。これはトレーディング・ウイズ・エネミーズ・アクトといって、議会の審議を経ないで大統領のディレクティブ、通達ですべての事を進めることができるものです。

 その最初にとったディレクティブが銀行法の改正でした。それは銀行業務と証券業務を完全に切り離して、それぞれ別々に規制するものです。問題は、今度のバブルの金融恐慌もそうですが、銀行がほかに何か金融会社を作って証券業務をやることにありました。銀行というのはみんなの預金を集めて、それをもとに貸し出すわけです。銀行は必ずどういう人から預金を集めているかという意識もあるし、それから、どういう企業、どういう融資をするかということも、一つひとつの企業やプロジェクトで慎重に審査して、そして見守っているわけです。ところが、証券は必ずしもそうでない。特に最近のインターネットを使った証券では、全く中身がわからないものを皆さん売ったり買ったりするわけです。

 これは金融工学の専門家が非常に複雑なことをしてやっています。その金融工学の一番基礎になっているのが、確率論に関する伊藤清先生の理論です。伊藤清先生は10日ほど前に亡くなられました。伊藤先生は非常にすぐれた数学者ですけど、それがそういう形で作られて、ウォールストリートで一番有名な日本人は伊藤清というふうに言われています。

 その点で少し脱線になりますけども、実は私、向坊隆という先生に非常に親しくしていただいております。原子力工学の専門家で、東大総長もされた方ですけど、向坊先生は、あるときこういうことを言われたんですね。当時、工学部の卒業生が金融工学を使えるということで、銀行や証券会社に就職しました。工学は、人々の生活が豊かに安定していくような、そして同時に、自然環境が豊かに維持できるような、そういう社会的な願いを心に秘めてその技術的な知識を使うのだと。儲かるかもうからないとか、金儲けという、あさましいことのために使う、これほど嘆かわしいことはないというようなことを二度ほどおっしゃっていました。たまたまその頃、経済学部では大銀行に就職する学生が圧倒的に多かったんですね。そして私の同僚なんかは、よくこう言っていました。自分のゼミの学生はみんな大銀行に就職する。大銀行に就職すると、年間の給料が多いだけでなくて、定年になってもどこかに二次就職ができる。そうすると一生を通じて生涯所得を最大にできる。非常に賢明だということを繰り返し主張していた。そういう経済学部の教授がいました。向坊先生は、それを非常に嘆かわしいこととしておっしゃっていた。私にはそのことが今でも非常に印象深く残っています。

 ニューディール政策には、実はもう1つ柱がありました。それがTVAです。ミシシッピー川の下流にテネシーバレーという広大な地域があります。南部の州を5つぐらいカバーしていて、そこで地域開発を政府の責任で実行します。連邦政府、地方政府も資金を出します。ダムを造り、道路を造り、そして、電力、工場、あるいは町を、基礎をつくるということに膨大な予算を使いました。地域開発を社会的共通資本として考えて、政府が中心になって実行に移していくといったことです。

 その一方で、同時に金融、銀行の放漫な、無責任な、反社会的な行為を厳しく取り締まります。実は、銀行は単なる企業ではない。非常に責任の重い、社会的共通資本としての銀行です。つまり、社会経済が円滑に機能するために金融は大事な役割を果たす。そういう社会的な責任というか、それを銀行員は意識することが大事だというのが出発点です。

 この2つを通して、当時はそういう言葉はありませんでしたが、社会的共通資本を重点的に整備したのがニューディール政策だったんですね。

 特に、テネシーバレーの開発は、1943年になって連邦最高裁判所が違憲の判決を下します。それは本来、民間のやるべきことを政府がやったという理由です。それは民間の企業活動のチャンスを奪ったというのが違憲判決の趣旨だったんですね。そこでTVAは組織を大幅に変更して、しかし実質的に南部の一番の基盤としてテネシーバレーの開発を続けていったわけです。

 それをフリードマンが中心になって、ニューディール政策を全部もとに戻すと主張したわけです。銀行と証券の垣根も取り払うと。それが今度の深刻な金融バブル崩壊の一番大きな原因です。それから、もう1つは地域開発です。つまり、シビルエンジニアリングにかかわることは、シビルではなくて、プライベートな形で行う、というのがフリードマンの強い主張でした。フリードマンはさらにもう1つ、軍隊までプライベート、民営化させようとしました。それまでドラフトという徴兵制度だったのを、ニクソン大統領のときだったかな、徴兵制度の見直しの委員会の委員長になって、傭兵制度に変えていったわけです。そういうことが、アメリカ社会の基幹を壊してきたわけですね。

 そして、フリードマンは執拗にその考えを広めていきます。最初に引っかかったのがレーガン、それからサッチャー、それから日本の中曽根さん。いずれも公共的な営為はできるだけなくして、すべてを民営化するということです。民営化してうまくいくためには、儲けるようにしなきゃいけない。それで規制を取っ払っていきます。特に深刻なのは、医療、それから教育を儲けの対象にしたということがアメリカ社会の崩壊につながっていったのではないかと思っています。

〜人間が人間らしく生きていく。それが社会的共通資本のこころ。

 これまでにお話ししてきた、そういう意味で、シビルエンジニアリング、土木工学というのは、人間が人間らしく生きていくための条件をフィジカルな形で準備するものです。それに対して、社会的共通資本の基本的考え方は、もちろんそれを含むのですが、もっと教育とか医療、金融などを中心にして、社会が円滑に機能して、特に一人ひとりの人にとって大事な、あるいは社会にとって重要な役割を果たすものを、所有関係は問わないで、みんなで共通の財産として大事に守って次の世代に伝えていくというものです。

(拍手)

配布資料: 宇沢弘文:「社会的共通資本と土木」(土木学会誌,2008年1月号掲載)

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