よく「昔は」と言葉が出る。
その昔とはいつか?
よく考えなければならないと思う。

よく聞くのは「いまどきの母親は子どもに愛情がない」という言葉である。
昔にはあったのか?
今生きている「自分」の母親にはあったのかもしれない。

しかし、子殺しは昔から「もっと」あったのは誰も否定し得ない事実である。

間引き、捨て子、子殺し。今も昔もなのだ。

子どもの親殺し、が騒がれるが、件数から言えばいまだに親の子殺しのほうが多いのであるが。

近代になって戸籍ができ、法律が制定され、医療が進歩し、生活が楽になり、産むということも完全にではないがコントロール出来る時代になった。

それからであろう。
つまり、選択ができるようになった分、自分の意思で産んだのだから責任を持て!ということであろうか。

しかしである。
その分、社会が、大人が子どもの社会的価値、位置を見失ったように思う。

子どもは社会の宝である。私たち全ての人間の未来なのである。
親が悪いから、とか言ってていいのか!と思う。

親だって今も昔も完全ではない。
子どもが生まれたら親が突然親の能力を獲得するのではない。
子どもが1歳なら親も1歳なのである。

「1歳の親」を育てるのは誰の責任か?

昔のように血縁が身近に居て、人間関係が豊富にあり、子ども自身の身近にまた子どもの存在あって、それらを経験しながら成長する時代ではないのだ。

自分に子どもができて、赤ん坊を始めて見る、抱く、ことが当たり前の社会になってきていることを私たちは認知する必要がある。

できなくて、わからなくて当たり前。

もちろんそうなる前に今の社会のなかでどう経験させるか?
という課題がある。

同時に、今、生まれてきてからどのようなサポートが必要か、緊急に考える必要もまたあるのだと思う。

平面での子育て支援はいま多いが、それにプラスして立体的支援を考える時がきていると私は思う。

具体的なことはまたいずれ書きたいと思う。