MNです。
<今日の支援室>
静かですね〜支援室。お客さんはほとんどいません。
支援室の助手も、巡回に出たり、自主研究などで、不在のことも多くなりました。
こんなときに、何らかの話題を用意するのも大変なんだから・・・。
そう!関西学院高校、甲子園出場おめでとうございます。
先週の話題になりますが、このブログでは初出ですかね。
ホームページでは、寄付を募っていましたが、さぞ大応援団になるのでしょうね。
1回戦で負けると、お金があまると聞いたことがあります。
何せ、70年ぶりですからね。
そのときのOBが生きていれば、80歳後半・・・その人はTV出演、間違いなしですね。
タイミングが合えば、応援に行くことも考えてます。
「空の翼」が甲子園の空を響かせることを期待しています。
■校歌「空の翼」(音楽ファイルもあります)
http://www.kwansei.ac.jp/Contents_17_0_0_43_15.html
<そして高校野球・・・>
以前、武庫川団地に住んでいたことがあって、ヒマを見つけては自転車でよく高校野球を見に行っていました。
生理的には、甲子園の真夏の炎天下にスポーツをしては「絶対にいけない」のだそうですが、そんな常識をこえて甲子園は巨大な「記号」となっています。
甲子園を出入りする父母、PTA、応援団、学生らは、自校のTシャツを着て、颯爽と歩いています。
何かしら自慢げに、ときには偉そうに、集団でデモのようにまちを練り歩いている、という感じです。
サーカーブームが世の中を席巻して久しいですが、それでも高校野球の人気は底堅く、それはこうした郷土意識が支えているんだと思っています。
高校野球で支える地域福祉・・・なんてのも考えてみたくなりました。
プレーが若くて、新鮮で、しかしその半面未熟で・・・、だからこそ高校野球は面白い。
負けたら終わり・・・この迫力が観衆を魅了します。
おそらく多くは、倒れてもいい、死んでもいいと思ってプレーしているんじゃないでしょうか。
可能性が低いことがわかっていても全力でプレーするので、無理なバックホームや一塁送球が少なからずみられます。
そうなるとエラーの確率も高くなりますし、逆に、奇跡のようなプレーが起こるのも、こういうときです。
これは、ほんの小さな可能性にかけているから?
彼らは全身で私たちにメッセージを送っているようです。
「あんたら、本当は何をめざしているの?」
いろんなものを天秤にかけて、選んで、駆け引きし、取り引きしている大人の私たちが失ってしまったものを彼らは持っています。
勝手に憶測しているので、間違っていたらごめんなさい。
甲子園の決勝で敗れて泣くのは、悔しいからというよりも、終わった・・・、寝れるぅ・・・、もうしんどいことはない・・・という肉体が解放される喜びと、小・中も含めたとしたら数年間を超えて野球に浸かってきた、仲間ごと背負ってきたその歴史や思い出、場合によっては野球はもうこれで終わりと決めていた自分の感慨、そしてその終わりを告げる「負け」、そんなものが一体となっているんじゃないかと思います。
終わりを告げるのは「勝ち」も一緒ですから、その点を除けば、勝者も敗者もほとんどすべて同じ条件で泣いているのだと、勝手に思っています。
<夏の思い出2(戦争を知らない人たちの戦争の思い出)>
8月15日の甲子園12時は、全国的な「平和教育」の時間となります。
小さな子どもが、お兄さんたちの一生懸命の高校野球を見ていると、突然、スタンドごと静まり返って、「ウ〜〜〜」とサイレンの音が聞こえてきます。
小さな子どもにはサイレンの音もめずらしいのですが、その音とともに、湧き上がっていた大観衆が、突然・・・一斉に・・・一人残らず黙とうを始める、このことの教育効果は絶大だと思っています。
私の夏の思い出には、どちらかというと重たいイメージがこびりついてます。
8月6日広島原爆、8月9日長崎原爆、8月12日御巣鷹山日航機事故(知人の死)、8月15日終戦、8月16日五山の送り火・・・すべて「死」を考えさせられる話題で、これらが一体となって私の夏の記憶になっています。
広島に行くと、かの有名な石碑があります。
「安らかに眠ってください もう過ちは繰り返しませんから」
これには甲論乙駁で、解釈の仕方がさまざま。
(1)私たちは(原爆の投下という結果をもたらすような)戦争を、二度と起こしません。
①これは日本国民としての懺悔だ
②これはアメリカによる戦後処理の一環(思想教育)だ
(2)私たちは、負ける(ことがわかっている)戦争は二度としません
(3)私たちは、戦争をする以上は必ず勝ちます
(2)(3)は、似ているのですが、(1)の①と②には、雲泥の差があります。
こと原爆(投下)に関しては、アメリカでも正確な知識が流布されておらず、「原爆投下によって戦争を早く終わらせ、失う命の数を少なくした」という理解が多いことが、最近のアメリカの調査でも、明らかにされています。
どうやら彼らは、原水爆は、すんごく大きな爆弾ぐらいにしか思っていないようです。
放射能の影響などについて、体験者が圧倒的に少ない上に、戦争自体を必要悪と考えているから、とりあえずは仕方ないことですね。
もちろん日本人は、すでに降伏の準備をしている段階での原爆投下だということを知っているので、これが戦争に名を借りた人体実験(※)だ、ドイツには落としておらず人種差別だ、という程度の理解は持っています。彼我の差の大きさに愕然とします。
(※ 実際、広島はウラン型、長崎はプルトニウム型と別々の原爆が用いられました。)
先の石碑、「・・・もう過ちは繰り返しませんから」の主語は誰だ!
インターネットの話題の焦点の一つはこれです。
この主語の違いによって、平和教育の内容も違ってきます。
「平和教育」とは、「戦争を憎み、戦争の実践者、関係者、支持者と闘わねばならないもの」だとしたら、皮肉なものだと感じます。
実践教育支援室年長 MN