やっと、両親の墓参りに行けました。
二年前にマイカーを手放したので、思うように墓参りもいけなくなった。
母親が昭和56年に亡くなった時、父親が新神戸のお寺に墓地を買って墓を
建て、その7年後に父も亡くなり母と一緒に埋葬されたが、3年前に兄嫁も帰らぬ人
となり、一緒に埋葬された。(%ショボ女%)
遠くて、年に一回行くのが精いっぱいだったが、その後、兄が白水峡に
墓地を購入して墓を移し、近くになったからいつでも両親に会いに
いけると喜んでいたが、根っから車の運転は好きでなかったので
もっぱらスタッフのNさんに「あっしいくん」をして頂いていた。
車はガレージに止めたままで、数回しか動かさなかったので
車検をめどに手放してしまった。
車がある時は、思い立ったら娘と墓参りに出かけたりしていたが
無くなると、とんと墓参りから遠のいてしまった。
今年から、さくら山並み線のバスが運行するようになったが
元来バス移動のなれない者にとっては、バスに乗る気持ちに
成らない、停留所ごとに停まってなかなか目的地に着かない
のがやりきれない、せっかちの性格がわざ割っている。
それと、休みが自由に取れないので、気になっていても行けない。
墓参りに行かなくても、「きっと両親は病弱な私が頑張って仕事をしている
姿を喜んでくれているのではと」いいように解釈して自己満足している。
今日やっと午前中に時間が取れたので、Nさんに墓参りに連れって行って
貰った。(%ニヤ女%)
白水峡は、広い墓地公園のようで、墓の近くまで車で行ける、
私は思いつきで行動する癖があるので、前もって花を準備しないで
白水峡に行くと、さすがお盆でたくさんの方が墓参りに訪れていた。
そこで初めてお盆を知った。いつもなら家でお盆のお供えを
したりするのが、今年は忘れてしまった。
と言うのは、最近スーパーに買い物に行かなくなったので
お供えが目につかないのが原因でもある。
仏壇に「お供えなくてごめんなさい」と誤らなくては・・・・
でも墓参りが実現してなりより嬉しい。
無事大学を卒業、娘の一人暮らし、事業が順調に行っている
報告をした。
思えば、最近いつ行ったのか忘れてしまった。
墓に着くとNさんが墓周りの草引きをしてくれた。
連れって行ってくれるだけで嬉しいのに
この暑いのに草引きまで手伝っていただくなんて
「何と私は幸せものかな」てただただ感謝。
そこで、びっくり、私には兄が二人いたのですが生まれてすぐに亡くなったのと
戦時中だったので、遺骨を寺に預けていたらしくお地蔵さんを建てている。
そのお地蔵さんに、生まれた日を刻んでいるのをNさんが見つけ、
「僕と同じ年に生まれはったんや」って言った。
何も母から聞いていなかったので全く知らない、
ただただビックリ、私が父の意志を継いで福祉の道に入ったのを
心配してNさんを引き合わせてくれたのかと、また父感謝をした。
生前はわがままな私を心配して「大丈夫か」って声を掛けてくれた父が
死んでからでも心配して
片腕になるような人を引き合わせてくれた。
偉大な父に涙が出てきた。
「ありがとう」お父さん、Nさんも初めてあった日から親近感があった
原因がやっとわかったような気がする。
一番上の兄さんが生きて居てくれているような気がしてますます
Nさんに親近感がわいてきた。
最近は良くNさんと言い合いをする、「もうわがままな妹やなーと
思って許して頂けるかなー」
合掌