[仁川まち協]デジカメ技術のコーナー vol.00196

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 今日の写真は、大阪北浜のオフイス街にある、史跡・重要文化財となっている「適塾(てきじゅく)」です。

 昨日に引き続き、来宅中の孫の勉学に対する意欲付けのために案内しました。この「適塾」は、優れた蘭学者・医学者であった「緒方洪庵」がこの地に開いた学塾ですが、当時の日本全国から優秀な医学生の入門を受け立派な教育が施され、西の「吉田松陰」の松下村塾に匹敵する高い評価を受けていました。

 大阪の非常に便利な場所にある割には訪れる人が少ないようですが必見に値する素晴らしい史跡です。会社時代に来阪中の社長をここに案内したところ大変感激してくれました。
 
 京都の町家のように間口の狭い奥に細長い建物ですが、中庭を設けたり、採光には工夫が尽くされており学塾に相応しい明るさが確保されています。

 1階が主として家族の生活部分であり、2階が塾生たちの生活とか勉学のための部屋になっています。最後の写真の「塾生大部屋」の30畳くらいの畳の部屋に塾生たちが寝泊りし、授業を受けたりしていたとのことです。多い時は30人以上の塾生がこの部屋にひしめき、成績順に条件の良い場所を占めることになっており、一番劣後した者には急な階段口の直ぐ横の場所があてがわれていたとの事です。

 当時の医学の勉強にはオランダ語の辞書が非常に大事な役割を果たしていたのですが、この大部屋の横に小さな辞書室があり、そこには手書きの一冊だけの辞書がおいてあり、塾生たちはこれを奪い合って勉学に励んだと言われています。明治維新に活躍した橋本左内とか大村益次郎もここの出身で、福沢諭吉もここで塾頭をやっていたそうです。なおここでの写真撮影はOKですが、ブログ等への登載は、適塾の後継である阪大の医学部の許可を取って欲しいとのこでしたが、連絡の方法も不明ですし、この程度の内容であれば特に問題はないと思われますので割愛しました。ご了承をお願いする次第です。

 この後、大阪城に行きましたが、昨日の東大寺と同じで人混みが激しく、8階までの階段の上り下りで草臥れてしまいました。

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 (写真記事=仁川在住写真愛好家 / 構成&編集=サトウ基裕