内モンゴルを旅して(兵庫自治体問題研究所常任理事 藤田泰男)
 9月8日早朝、我々を乗せた寝台列車は内モンゴル自治区赤峰市駅に到着しました。赤峰市の市街地は人口50万人ほどですが市域全体では500万人を擁し、内モンゴルの中では3番目くらいの規模だそうです。たくさんの工場と煙突が目に付き、街のいたるところが建築中で昭和30年代の日本の工業都市を彷彿させます。今中国は工業化驀進中という現状を実感しました。朝食後旅行社手配のバスに乗り、赤大高速を一路北に向かって走り続けました。巴林右旗にさしかかるころから道は北東に向い、鉄道と平行してしばらく走ります。道路は想像以上の高規格で、真新しい鉄道にも驚きましたが、これらはすべて石炭と天然ガス輸送のための産業道路・鉄道だそうです。やがて少し大きな市街地が見えてきましたが、巴林左旗で石炭を積んだトラックが行き交います。ここから目的地の柴達木村まで警察車両が先導してくれました。巴林左旗から車は一般道に入り西に向かって走りますがやがて舗装道路を離れ、轍で作られた砂地道路を延々と走ります。周囲は一面砂漠でところどころにとうもろこしや粟、ひえ畑が散在します。遠くを見渡しても緑の少ない緩やかな丘陵が続き、あちらこちらに放牧中の羊や馬が見えます。ここも赤峰市の一角です。この地域に外国人が訪れたのは初めてということで県と村の共産党書記(一番偉い人)が歓迎の先頭に立ってご馳走を振舞ってくれました。実はこの旅行の目的は、砂漠化が進む内モンゴルの植樹事情を視察し、NPOを立ち上げ事業化できるかを観察することにあります。工業化を最優先している現状では政府は砂漠化する過疎地にまで手が回らず、植樹はもっぱら個人の努力に委ねられています。中国は穀物に続いて木材も近年輸入国に転じました。日本の過疎地を含めてこれからの地域の再生に、(牧畜)・農業・林業が限りない可能性を秘めているのです。そのために、広州のキナン大学から研究者3名、北京TVスタッフが兵庫県立大学北野研究室グループと合流しました。
 50年前まではこの地域のモンゴル人は遊牧民でした。中国政府の定住政策により家畜は季節的移動ができなくなり、草原は緑の回復力を失い砂漠化が急速に進行しています。そこでポプラの植樹により落葉で土地の有機化を図り、20年という長期のスパンながら林業と農業(そして牧畜業)が同時に振興できないかというのが北野教授の考えです。ポプラ林の成長が見られる所は部分的にありますが、灌漑用水に依存するだけに地下水脈の分布によります。途中の丘陵地でアメリカ式の灌漑用回転スプリンクラーを利用した円形の大豆畑が何箇所か見られました。聞けば外資だそうですが、このスプリンクラー散布は大量の地下水を独占的に消費し、アメリカでも水脈の枯渇を招き砂漠化の原因になっているだけに本格的な内モンゴル進出が心配されます。
 ゲルでの宿泊体験もしました。メインのゲルには、毛沢東でなく、ジンギスカンの肖像画が入口正面に飾られ客を迎えます。馬頭琴の伴奏と民謡、牛乳・バター茶、50%超濃度のモンゴル酒による熱烈な歓迎を受けました。それにしても水が極度に不足する生活は、風呂、トイレなどで水をジャブジャブ使うことに慣れた我々には過酷に思えました。ただひとつ、とうもろこし畑の天然トイレは快適そのもの。満天の星の下もよし、抜けるような澄んだ青空の下でもよし、誰も見ていません。
 工業化が進む大都市と砂漠化が進行する過疎地の対立構造は日本の現状とも共通しています。まだ中国では、鉄道の自由な利用が制限されていることに見られるように農村住民の移動は制限されており、都市の発展と農村の過疎化は対立関係にあります。都市と農村の共生の第一歩は交流にあるといえますが、移動が制限されていては交流は望むべくもありません。