子どもの権利

「人権」という言葉がいまの日本においてどういう感情を大人に引き起こすか?
何を連想させるか?
そしてそれはどうしてなのか?

大人は今一度自分を振り返ってみる必要があるのではないかと私は思う。

「人権」について学問として研究されているような一部の方を除き、
このあまりにも当然で、
なくてはならない空気のごとき存在を、
私たちは「今」再確認する必要があると強調したいと思う。

異臭を誰もが感じるようになってからでは遅いのだ。

子どもはある意味「炭鉱のカナリア」であると私は思う。

何かに対し、死をもって人知にさらすようになる前に、私たちはしなければならないことがある。

今が最後のチャンスではないか。
まずは情報収集。
そのためには、まず重いドアをいかに開くか。

ドアにまず目を向けるところからかもしれないと思う。
目を背けていては、決して見えることがないことを断言したい。

知っていることをいかに広めるかについては、
私たちは今このような武器をもっているのだから使わぬ手はないのだ。