天下分け目の関ケ原ウォーキング・・・10月10日(土)

(%青点%)「歴史と古典」講座では、課外授業として、10月10日(土)、台風一過、秋晴れの「関ケ原」を訪れました。
(%エンピツ%) 「関ケ原」の戦い
・時は、慶長5年(1600年)9月15日 (旧暦)
・徳川家康方東軍・石田三成方西軍あわせて約16万の軍勢が「関ケ原」に対峙。
(%ノート%) 「関ケ原」ウオーキングのコース
・JR関ケ原駅(AM11時)—歴史民族資料館—徳川家康最後陣跡—丸山烽火場—決戦地—石田三成陣跡(笹尾山)—島津義弘陣跡—JR関ケ原駅(PM3時)

 《右上の写真は、「決戦地」で、東軍と西軍が最後まで戦った合戦最大の激戦地》

(%エンピツ%) 戦いすんで日が暮れて
・敗者の西軍の関ケ原後の去就
 石田三成、小西行長、安国寺恵瓊、長束正家・・・斬首
 上杉景勝・・・減封(会津から米沢へ)
 宇喜多秀家・・・八丈島へ流刑
 大谷吉継・・・戦場にて自害
 毛利秀元・・・減封(中国地方100万石から長門・周防2国37万石)
 島津義弘・・・敵の東軍の真っ只中を撤退、1,600人から僅か80人

(%赤点%) 歴史を学ぶキーポイント(加藤正彦ナビゲーター)
・遺跡、史跡にできるだけ佇(たたず)んで、よく見て歴史の世界に入り込む
・史料(記録・伝記・日記・手紙など)の特長をよく学習して、史料を通じての過去の復元・歴史という学問の特長になれていく
・古今東西の歴史文学をよく読んで、歴史に対する感覚を養う
・歴史に対するいろいろな見方に目をつけて、歴史を楽しみましょう etc.

《写真の場所は、「床几場・徳川家康最後陣跡」で、戦いが終わってから、敵方の首実験をした所の説明をボランティアガイドからうけている》