私は、今まで「くつろぎの家らく」の利用者の事をブログに
書くのを控えてきた。
でも、今回初めて利用者との交わした会話を書いて見ます。

「らく」に今手紙と題した詩を額に入れて壁に掛けている。
朝の時間長年「らく」を利用してくれている利用者と会話した。

重度の認知症ではあるが、人との受け答えは完ぺきであり、どこが
認知症なのって感じ、
でも、5分間の会話でどこか違うって感じで認知症を感じさせる光景が
目を出してくる。

私が利用者に「死って考えた事ありますか」って切り始めた。
「そうやね、昔は死を考えたけど、今は考えない」とのこと。
確かに、利用者に出会った7年前は「私が死んだらどうしよう
一人で火葬場に行けないし」て言うような会話をしたことを覚えている。

おそらく今の彼女は、死を考える必要が無くなったのかも知れない。
以前にある勉強会で、「認知症はその人にとって神様からの贈り物」って
言われたことが脳裏に残っている。
人間は、死ぬことはすごく怖い物なんです、でも認知症になると
その怖さが無くなってしまうって言われた。
確かにそうかも知れない、認知症は脳が委縮していき実年齢より脳年齢は
はるかに若くなっているって言っても過言でない。
私は「口悪く、もう婆なんだから、かわいいおばあちゃんになったら」って言うと
その方は「私は、ばあさんと違います」って言うのが口癖、
脳年齢は50歳くらいになのかも知れない。
バリバリのキャリアウーマンだった感覚が今なのかも知れない。

手紙を読み始めた。老いていく姿を克明に描かれている内容を聞いて
「なんでこんな物私に聞かせるの」って一言、「え!!!!」
私の頭が真っ白になってしまった。
この人には、老いていく姿はないのだと言うことなんだ。

重度の認知症になると、今の自分が年老いていくことなど考えられないのかも
知れない。
まだまだ、私は認知症に付いてわかっていないのだと反省させられた。
100人の認知症がいたら100通りの症状があると言われる。
奥が深すぎる、対応の難しさを思い知らされた会話でした。