長い詩です。全文を掲載するのは困難なので、分けて掲載します。
手紙 親愛なる子供たちへ
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がるときには思い出して欲しい
あなたを追いまわし 何度も着替えさせたり さまざまな理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日々のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
この詩は、今を克明に書かれている。
おそらく、認知症ではなく機能が徐々に失っていかれる方の
症状が書かれているのだと思う。
認知症は、記憶の損傷で、時が進まない状態でないと会話が成り立たない。
会話の内容は、話が終わった状態で記憶として残らない。
物を見ても、その時は「花がきれい」と思っても、記憶として残っていない。
認知症が進むにつれ、例えば尿漏れをしてしまい、下着を
履き替えて、その場面が終われば尿漏れの事実が
消えてしまう。
「私は、お漏らしはしません」って答える。今下着履き替えたのにどうして・・・・・・・
それは仕方ない事なんです。
記憶として脳に定着しないから、「認知症はバーチャルリアリテーの中で生きて居る」と
言っても過言ではないのです。
どうか、認知症を理解し存在を認めてあげていただきたいですね。
私もしかり。頭を柔軟に対応をして行きたいと思います。