広い視野と自主的判断

今は、不登校に関していろいろな場所がありますが、
それだけに、気をつけないといけないことも多くなっています。

同じ「不登校」という状態であっても、子どもはもちろんそれぞれ違いますし、もちろん親も環境も違うわけです。

それらをひとくくりにして「ただ黙って見守れば大丈夫」とか「医療に」とか、短絡的に考えることは危険なことが多いということを強調したいと思います。

学校は、学校に原因があるというようなことはまず思いませんから、学校以外に原因を求めてくれる場所をお勧めになります。

自分の子供との経験だけしか知らない方は、見守っていれば、大丈夫といわれる方もおられます。

表に出ている症状だけを見て、病気の一緒だと考え、だから私のせいではないと逃げて子どもや大人の本質的原因に目を向けることのない場合もあります。

無理な要求も、暴力も、子どものつらさなのだから受け止めなさいといわれる方もおられます。

どれも間違ってはいないと思いますが、本当に大切なのはなんでしょう?

「見極め」「整理」ではないかと私は思います。

ただ受け止めてきた結果、暴力などがどんどんエスカレートしてしまって子どもから夜逃げするか殺すか殺されるかになってしまう方もおられます。
子どもが例えばBPDであった場合など、無制限な許容はかえって悪い結果をもたらすだけになるのです。

学校などでのつらい経験の積み重ねで精神的につらい状況になっている場合、一時期、適切な薬の使用が有効な場合もあれば、安易に薬に頼ることによって依存や副作用などでより状況悪化を招くこともあります。

私の知っている例では14種類もの薬を処方され続け、肝臓障害にまで至っているなどというケースさえあります。

何らかの障害でコミュニケーションに問題を抱えていたり、他の課題を持っていたりするのに、本人も周囲も気がつかないままの場合、それを放置したところで改善にはつながらないことは明白ですよね。

最近本当に困っているんです。

あれやこれや、無責任、短期的、狭い範囲での経験しか持たない方の間をさまよわれた揚句、ひどい状態になってから来られる方が多くて。

学校に所属しているうちは学校の都合のいい場所だけにかかわってこられて、卒業したら、かかわりがどこともなくなった結果、ネットなどでいろんな場所を、なんら確かめることなく、できないまま依存してしまって…。
というような。

何年も、間違った、ころころ変化する対応を取らざるを得なかった結果、こじれにこじれてしまった結果なんです。

そうならないために何が必要か?
よく見て、よく知って、よく考えて、そのうえで長期的、直接的対応をしてもらえる場所を求めていただきたいと思います。

そういう場所もたくさんあります。
ゆめゆめ、ネットや利害ある関係者の意見だけに惑わされない、自主性を持った価値ある選択をしていただきたいと思います。