あまりのことに書けないこともあってストレスがたまる。
こういう仕事をしていると仕方がないことだけれど。

また子どもの虐待死があった。
報道で見る限り、毎度おなじみの、対処しなければいけない側のあまりの現実を知らない、想像力のなさに驚くとともに怒りを感じてしかたがない。

初めに通報した歯科医の方もがっかりしておられるのではないかと思う。
こういう例ばかり見せられていたら、うかうか通報もできない。

子どもの虐待が疑われるのに、学校に通報して済ませる側もあまりに安易である。
学校には虐待や心理の専門家はいないと思ったほうがいい。

報道で知る限り、両親に直接話をしたらしいが愚の骨頂である。
子どもに対し父親に謝らせたらしいが、その結果は明白である。
その子が家に帰ってどうなったか。
「お前のせいで恥ををかいた」と、よりひどい目に合ったことはまず間違いはない。

父親が暴力をふるっているとわかっていたのだから、まずしなければならないのは母親へのコンタクトと支援である。
年齢や再婚ということを考えれば明白にわかることであるが、母親も多分DVを受けている。

こういう状況で学校を休んでいて放置していたことは怠慢以外のなにものでもない。

無意味、無策な家庭訪問は有害以外の何物でもない。
岸和田であった虐待事件でもそうであったように。

正直言うと、まともな親が子どもを守るために不登校をした場合、うるさいほどのコンタクトを求められるのが普通の今、暴力的な父親、頼りになりそうもない母親に学校が親を敬遠したとしか思えない。

こういう例は残念だがよくある。
そういうところまで学校がやるべきか?などと話し合われていたのではないか?

確かに学校だけが責任をまかされるのはおかしい。
しかしである、では、子どものことを放置しないで、公的機関間の連携を呼びかけるのが学校の本来の役目ではないか?

システム的にはすでにある。
児相、学校、警察、役所、他、関係機関が話し合う場があるのだが…。

どことは言わないが、年に何回くらいこういうことをしているのですか?の質問に「年2回」と答えた自治体がある。
何もしていない、というのと同じである。
これにいくらの予算が使われているか。ばかばかしいと言わざるを得ない。

保護の必要があっても施設は満杯であるのも事実である。
しかしである、ではなぜ現場がその必要性を上に報告し改善しないのか?

うえにものを言うことから逃げていると断言したい。
学校も実はそうである。
現場が言わなくてなぜ社会が変わることがあろう!

もうひとつ、なぜ民間の、地域の私たちを利用しないのか?
私が知っている人たちの多くは、子どもに何かあれば体を張って動く人たちばかりである。

1時期、自分たちに限界があると認めて、人の手を借りることも考えるべきであろう。

大切なのは何なのか?
まず子どもの安全であろう。

大人のメンツや忙しさ、無作為、無責任、怠慢の犠牲はいつも子ども。

もう終りにしましょうよ!