天下分け目の戦い

日 時 平成22年2月8日(月)
場 所 兵庫県民会館
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会)
 言わずと知れた石田三成(西軍)と徳川家康(東軍)との正に
天下を分けた戦いのお話しでした。
 家康は秀頼の名のもとに、上杉景勝を討伐するために、豊臣
軍団を引き連れて東上しますが、途中で「三成旗上げ」の報に
接し、小山において一世一代の評定を開きます。(7/14)
 この時のキーポイントは、①黒田長政が多数派工作を行ったこと。②軍団最強の福島正則が早々と家康支持を表明したこと。③山内一豊他東海道の大名が各々の城を提供したこと。・・・により、家康は労せずして豊臣軍団を手中にし、かつ兵糧・宿泊地の心配なしに進軍出来る状況になったことです。
 関が原の戦いは、あっけなく1日で決着がつきましたが、その前哨戦として「丹後田辺の戦い(細川有斎)」「大津城攻防の戦い(京極高次)」「九州方面の戦い(黒田如水)」等がありました。 
関が原の1日(9/15)は・・・・・
 ● 9時頃 8時頃から始まったが一進一退。
 ●11時頃 西軍の毛利・島津が動かず。
 ●正午頃 小早川他の背反。
 ●13時頃 西軍の戦線崩壊 ・・・・・となります。
 歴史に「もしも」はありませんが、「もしも、裏切りや傍観がなかったら」どうなっていたかわからない戦いでした。