謎につつまれた邪馬台国

日 時 平成22年3月17日(水)
場 所 池田銀行・本店
講 師 伊藤 純氏(大阪歴史博物館学芸員)
 邪馬台国については、中国の歴史書「三国志」(65巻)の
中の「魏書」(30巻)の最終節付近に「魏志倭人伝」として
掲載されており、それの解釈等によって謎があるようです。
 その「魏志倭人伝」の構成は大きく分けて・・・
 ①地理・・・中国からの距離(所在地論の根本)
 ②習俗・・・服装・農耕・武器・葬送・産品など
 ③歴史・・・倭国の大乱・卑弥呼の共立やその死など
・・・で、①・②は倭から中国へ出向いた使者からの情報の他、中国から倭に赴いた使者の見聞記が元になっており、③は魏と倭のやり取りを記録したものである由ですが、通訳の誤りや勘違い等もあるかもしれず、そのままが正確とは限りません。
 江戸時代から論争になっています邪馬台国の位置につきましては、「大和説と九州説」が相譲りませんが、「その(倭国まで)道理を計るに、まさに東冶(中国の県)の東にあるべし。」だと台湾の北に位置することになり、海の中ということになってしまいます。
 結局 「魏志倭人伝」の記述からは確定できないため、私的に方向とか距離とかを読み替えなければならず、ここに考古学の出番があります。
 折りしも「纏向遺跡」の発掘により、やや大和説が浮上してきたやに見えますが、この問題は決着せず、ロマンのままがよいのではと密かに思っているしだいです。