考えると言うこと

認知能力強化プログラム(IE)を多くの人に実施してきて、
IQが63から85になった子や、ある障害を持っていて社会適応が難しかった人が元気になったりとうれしいことをたくさん経験させていただいてきて最近よく思うことがある。

IEは問題の答えを教えることはない。
一緒に考えて行くだけなのだが。
多くの人にとって「自分で考える」と言うことがいかに難しいかということに驚く。

本来、そんなはずはないのだ。
ではなぜそうなるのか?

そこを教育に携わる人間は特によく考えなくてはならないと思う。

「自分を出す」ということが許されない状況がなくはないか?と私は感じている。
それに伴って、自分のコントロールする技術が育っていないと思われる。その二つは同じことの表裏であると私は考える。

考えたことが正しいか、適切であるかはまた別の問題である。
そこにはまた多くの課題がある。

まず言葉の理解が微妙にずれていたり、使う場所が不適切であったり、順序や、情報の処理の仕方がおかしかったりする。

また、一つの物事を多方面から考えることができないことも多い。

例えば、ガラス製の普通のコップ。
どんな形であるかは見る方向によっても違うし、使用用途も様々で当たり前、落とせば割れるし、、割れれば危険であって、というような、一つのコップにも多様な姿がある。

それらのことをいかに自分の中で整理し、必要に応じて適切に出力できるかが生きてゆく上で大変重要である。

しかし、それが不全であるといろいろなことに支障をきたす。
それが人により出方が違っている。
そこをどう調整してゆくか。

これからの時代、IEの果たす役割はより大きくなるのは間違いない。

ぜひ多くの人に知っていただきたいと思う。

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