安全、安心

あのJR福知山線の脱線事故から5年。
あの事故で亡くなられた方々の追悼と被害者の真の回復と事故の風化の防止のために4月25日にメモリアルウオークをなさる。

4.25あの日は忘れない メモリアルウオーク2010 -たどり着きたかったあの場所へ-

私はとりわけこの事故には関心がある。
理由はいくつかある。

一つは、
私の父はある私鉄で鉄道マンをしていて、その当時事故を続発していた会社で、今でいう「事故防止マニュアル」を作り、後進の指導をし、事故0を何年も続けたという功績で勲六等単光旭日章を57歳でもらった人間。

そのマニュアルにあることをすべて知っているわけではないが、一つだけ今も覚えていることがある。
それは、駅長たるもの、どこかに配置されたとしたら、まず自分の受け持ちの線路を歩きなさい、ということ。

ただ歩くのではない。
歩きながら、事故が起こりそうな場所、カーブ、踏切、トンネル、崖、川の周辺、架線の断線など、そこで起こりえる、あらゆる事故、災害を予想し、予防措置をとれるものはとり、起こってしまったとしたらどこに連絡をするか、どういう措置が必要か、近くにある施設(警察はもちろん病院も含む)、近くを走る道路はどこか、など情報を集め記録し情報共有を含めた事前準備をしておくことを指導していたのだ。

その結果それまで頻発していた事故は全くなくなったのだ。

今も同じことが有効でないということはあるだろうか?
私はないと思う。

だから私的にはあの事故は避けられた事故である。
残念で仕方がない…。

関心をもった理由のもう一つは、
日勤教育の問題である。
JRだけでなく例えば学校現場(教員)にも同じことがあると聞いている。
人権侵害、無意味、有害でありながら「教育」という名前がつけられている場所。

その間違った教育がなければあの事故は起こらなかったと私は考えている。

何か課題を持った人がいたとして、その改善のための方法としてとられている手段が間違っているとしたら、答えは一つであろう。即刻やめたほうがいい。

この当たり前のことが実行できないのはなぜか?
答えは一つ、教育をする側の無知である。

この日進月歩の世の中で、あいも変わらず同じことをしていて、それをよしとしている時点で、それは間違っているといってまず間違いはない。

昔、軍隊で同じようなことが行われていたが、それが間違っていたことは既に証明されている。
なのにいまだに同じことをして名前だけは相変わらず「教育だ!」

本当に進歩がないのには驚く。

ここいらでやめませんか?
羊頭狗肉は。

人の命、社会の安全がかかっていることをもう一度確認していただきたいと思う。

どうしたらいいかわからないのなら、どうぞうちにきてくださいといいたい。

かけがえのない命が失われることになる間違いはもうやめましょうよ!