日本赤十字社の創設者 「佐野常民」

平成22年5月11日(火) 午後の部で実施
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 文政5年肥前国佐賀郡に生まれる。頭が切れたので、藩医、
佐野常徽の養子となり医者を目指す。そして江戸に行き、
古賀庵の塾に入門する。その後佐賀へ帰り、これも養女の
駒子と結婚する。嘉永元年、大阪の緒方洪庵の適塾に入門
する。ここの門人は全国に及び、門人帳には636人の人が出ていますが、中でも一番多いのは地方の医家の師弟です。塾生は蘭語の力により、10人前後に分れ、お互いが競争を行い実力の良いものが良い場所で学べました。
 パリ万博では、敵も味方も関係なく看護をする、ヨーロッパの赤十字に感化され明治10年4月、西南戦争負傷者救護のため、日本赤十字の前進である「博愛社」設立許可を提出するが、日本ではまだ早いと言われ、却下されてしまいます。
 しかし、同年5月熊本で有栖川宮から博愛社の設立許可を得て救護活動を開始した。総責任者の佐野常民は報告書に博覧会は「眼目の教」ーーすなわち視覚的情報によって人々を教化する装置ーーであると、報告しています。
 日本では戦後、アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意味を持ち、中国では表向きは「環境」に配慮した、「より良い都市、より良い生活」をテーマにしています。