仏と日本人 「神護寺-薬師如来・再考」

平成22年6月25日 (金)
場所:県民会館
主催:兵庫講座
講師:大江 篤 (園田学園女子大学教授)
 京都・神護寺の薬師如来といえば、僧・道鏡と実力者
和気清麻呂の権力争いで有名な寺です。道鏡は東大寺の僧で、
修験の山葛城山に篭もり苦行の中で、呪術を習得しました。
 そして、大仏開眼の時に天皇であった考謙天皇の病気を治療
したことから、女帝の信頼をうけて政治の世界に入りました。そして、道鏡は天皇に准ずる扱いを受ける、法王という位につき当時権勢を誇っていました。
 が、当然、いくら権力があるといっても天皇家でもない道鏡が、天皇の位に付くことなど到底許されるものではありません。朝廷内には、僧侶である道鏡が政治の中枢に居座っていることに疑念や不満を抱くものも多く、そういった者たちの支持のもと、和気清麻呂が道鏡の皇位継承を拒んだとされています。
 また、天皇は河内の国を西の京として都を造ろうとしましたが、志半ばで天皇が薧去し、それと共に道鏡も失脚しました。
 また和気清麻呂は平安京遷都の造宮太夫(最高責任者)であります。造宮太夫は新進気鋭の仏教会のエリートである最澄と空海をこの寺に招き、活躍の場を与えました。
 神護寺の像は、道鏡の怨霊への対抗呪詛の本尊であり、神仏習合による神像のため、慈悲相は示していないそうです。
 この世には、良い神様と悪い神様が存在するのは皆さんもご存知のとおりです。