明治の偉人 「日光華厳の滝を自殺の名所にした男 藤村 操」

平成22年7月6日 (火) 午後の部で実施
場所:明石市男女共同参画センター
主催:兵庫県芸術文化協会
講師:(財) 茨木一成氏 (日本歴史学会会員)
 1886年生まれ、北海道出身の旧制一校の学生で華厳の滝
で投身自殺をしました。旧制一校の学生といえば、将来を約束
された身分で、また自殺現場に残した遺書「厳頭之感」よって
当時のマスコミ、知識人に波紋を広げました。祖父の藤村政徳は
盛岡藩主であり、父の胖は明治維新後、北海道に渡り事業家として成功していました。
 また厭世感による、エリート学生の死は、「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出してしまいます。
 警戒中の警察官に見つかり未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で日光で自殺を図った者は、185名に登りました。(自殺を遂げたた者は40名)。
 また彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた、夏目漱石の精神にも大きな打撃を与えます。漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていました。
この事件は漱石が後年、うつ病となった原因とされています。
 自殺の原因が、哲学的な意味を含んでいただけに、世間の若者、特に学生、生徒には大きな衝撃を与えました。
 歌手藤山一郎は、藤村 操にちなんで芸名を付けたそうです。