仏と日本人 「平城京の寺院 東大寺を中心に」

平成22年7月16日(金) 夕方の部で実施
場所:県民会館
主催:兵庫講座 2010
講師:遠藤 慶太 (皇學館大学資料編纂所)
 平城京は、奈良時代の日本の首都。所謂ならの都であります。
唐の都「長安」や北魏洛陽城等を模して建造されたといわれ、
現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していました。
 藤原京から平城京への遷都は707年に審議が始まり、
708年には元明天皇により遷都の詔が出された。しかし、710年3月10日に遷都された時には、内裏と対極殿、その他の官舎が整備された程度と考えられており、寺院や邸宅は、山城国の長岡京に遷都するまでの間に、段階的に整備されたと考えられています。
 740年、恭仁京や難波京への遷都によって、平城京は一時的に放棄されるが、745年には、再び平城京に遷都され、その後784年、長岡京に遷都するまで74年間、都が置かれ政治の中心地でありました。山城国に遷都したのちには南都とも呼ばれていました。
 「東大寺」は華厳宗の総本山で、「廬舎那仏」という仏様がいらっしゃるのは皆さんご存知のとおりです。東大寺の工事は「造東大寺司」という臨時の役所が担当していましたが臨時とは名ばかりで、かなり恒久的な役所でありました。
 官営工房の「造東大寺司」には、働く人が2000人に近い巨大組織でありました。しかし、この「造東大寺司」も律令制度の衰退と共に平安初期には閉鎖になりました。また、現存する大仏殿は江戸時代18世紀の再建で、創建当時の堂に比べ、間口は2/3に縮小されています。しかし、「大仏さんの寺」として古代から現代に至るまで、我々日本人の心の拠りどころになっているのは、間違いありません。