理想的と現実的

◇◆生産的じゃない人間がここにいる◇◆

数日前、ある方に言われました。その方は、
このブログを見てくださっているそうです。
「松尾くんのサッカーとかスポーツの捉え方って
理想主義というか、まるで夢見る夢男くんだよ。
全然、現実的じゃない」

僕は、「そうですかねぇ〜」とか、当たり障りのない
返事をしていました。それぞれの見方だと
思っているからですね。

その方は、そういう僕の態度がちょっとカチッと
きたらしく、こう続けました。
「そういうはっきりしないのが、生産的になれない
松尾くんなんだよ。だからフリーターのままなんだ」

「すみませんです」

こんな会話をしていました。一つだけお断りして
おきますね。その方は、別に僕をバカにしたい
わけじゃない。見下したいわけでもない。
その方なりに心配してくださっているのですね。
そしてその心配は、『情けない松尾くん』に対して
苛立ちを感じてしまうのですね。

別のある方にはこうおっしゃっていただきました。
「松尾さんのはっきりしないのは、イライラする時も
あるのだけれど、そういう性格は優しさでもある」

いろんな捉え方をしてもらって、嬉しいですね。
ですが、僕は少なくとも、生産的な人材(人間)では
ないでしょうね。もっと、ゆったりと考えるタイプ、
何かをじっくりと考え、取り組みたいタイプですね。

仕事では、生産的、効率的、能率的、実績を
上げることが求められますよね。どの職種でも
そうだと思いますし、よくメディアや書籍などで
語られることですが、そうでない人間は
昔は居場所があったけど、現在では、
すぐに切り捨てられると。

また、効率的な人材でないと、収入の高い
仕事・ポジションには就けないと。
これは現実・事実だと思います。世の中がそのような
流れなのですね。どこであっても。そうしないと、
厳しい競争に勝ち残れないし、デキることは、美徳であり、
優しさとかはプラス要因にはなるけれど、
決定的な要素にはなりえない。

やっぱり仕事が出来るかどうかなのですね。
デキる人間は、年功序列も関係なく、
(関係あっても、別の組織に移り)、
出世していく。

僕はそれは、効率的とか、生産的とか、
そういうことはまず横に置いておいて、
とってもリアルな世の中の流れだと思います。
結果的に、そうなった。誰かが(どこかの学者や
資本家が)そうしたわけではなく、20世紀から
21世紀にかけて、そのような社会の流れになった。
至極、当然な流れだとも思います。

長くなってきたので、続きは次回に。