日 時 平成22年8月24日(火)
場 所 神戸松蔭女子学院大学
講 師 打田素之氏(同大学准教授)
フランス映画史におけるアラン・ドロンの位置づけについて、
「太陽がいっぱい」を教材にご説明をいただきました。
この映画の筋は、米国の富豪に頼まれてその息子を連れ
戻しにイタリアにやって来た貧しい青年(アラン・ドロン)は約束
を果たさず、息子を殺害した上に彼の財産を手にいれ、その
恋人をも我がものにしようとするが、待ち受けていたのは哀しい結末であった。というものです。
この映画は友人の殺人とその恋人の誘惑という罪を犯すものですが、その都度それとなく神父やアパートの住人が登場し、神はいつでも見ているのですよと暗示する保守的な作品となっています。
一方この映画が封切られた時(1960年)は、ヌーベルヴァーグ(新しい自由な波)真只中で、アラン・ドロンの周辺には甘美でエロティスムが漂っていたため、蚊帳の外でした。
ただ、それから30年を経た1990年にそのものズバリの
「ヌーヴェル・ヴァーグ」と言う題名の映画に出演すること
になり、歴史はなんとも皮肉としか言い様がありません。
右はセミナーで見せていただいたもので、友人を殺害
した後、その恋人を誘惑しようとしている場面ですが、
今にもあの名曲が聞こえてきそうではありませんか。