パソコンは友だち?携帯は友人?

◇◆PCも携帯も使い方次第◇◆

22日(水)の午後から、夕方にかけて
宝塚市社協ボラセンへ出掛けてきました。
特に何をするのでもなく、作りかけの
『ボラセンTIMES』等をPCで作成していました。

夕方5時半ごろでしょうか。
数名の女の子たちが、事務コーナーにやってきました。
まだ小さな女の子たちで、「こんにちは!」と
声をかけると、はずかしそうにチョコンとおじぎを
してくれました(^v^)

何でもパソコンを使いたいのだそうです。
職員さんがパソコン使用のための案内をしてあげて
女の子たちはPCをし始めました。

「もう暗くなってきたね〜」
ヤングママのボランティアコーディネーターMさんが
少し心配されていました。

僕はずっと以前に別のブログで
PC(インターネット等)は使い方次第では
こんなに便利なものはない
と書いたことがあります。

今でもそう思っています。
僕は、夜中にもPCを使用することがあります。
深夜にパソコンをし続けて、体調をくずしたこともあるので
それ以来なるべく控えるようにはしていますが
やっぱり深夜でもPCを使うことはあります。

使い方次第なのですね。
あらゆるものが。です。
パソコンも時間や使用するセッティング(サイト等)、
親御さんが気をつけられる部分は気をつけた方が
絶対に良いのだし、最近は携帯サイトでも
アダルトサイト、イジメにも使える

もっと沢山の『こうしない方がいい』というやり方がある。
でも『こう使うといいよ〜』という使用方法もたくさんある。
それを子どもたちに伝えるのが大人の役目だと思うのだけれど、
果たしてその大人ってどうよ〜ということにならないだろうか??

アダルトサイトを設立しているのも
運営費のお金を落としているのも大人なのだし、
中傷の激しい掲示板等を設立しているのも
中傷しているのも大人なわけだし、
(松尾も掲示板等で中傷されることもあるみたいですね)
(もちろん、現在では”子ども”も運営等に関わるのですが)、

性描写、イジメ(暴力)描写を管理している大人が
(子どもの目から見たら)好き勝手やっているのに
これは見たらダメ、これはいいとか、それってどうよ?

ということにはならないのだろうか。
どうしても疑問符が付いてしまうのですね。
性的な感情・情緒、暴力的・こころ的感情や情緒が
子どものころにいじられてしまうと、
(長い期間・生涯の可能性もある)尾を引くことになると思います。
教育って単語にするとシンプルだけれど、本当に難しい。

僕は午後6時前にボラセンから帰宅しましたが
あの女の子たちも(ボラセンは6時には閉まるので)帰宅したのでしょうが
仮に別の子たちがまっすぐ帰らなかったとして、大人達にかれらを
責める資格があるのかななどと考えずにはいられません。
(もちろん、親御さんは別ですが)(そしてこれは他にも
様々な要因が絡んでくることですが)。

パソコンが友だちになるように
携帯が友人になるように
自分なりの付き合い方をしているつもりです。
良い友になれたらいいなと思っています。
僕は親ではありませんが、一人の大人として。