水木しげるの関西時代

日 時 平成22年10月31日(日)
場 所 西宮教育会館
講 師 村上知彦氏(神戸松蔭女子大学)
 「ゲゲゲの女房」で今話題の「水木しげる」の関西時代について
本人の漫画やデッサンを交えながら紹介くださいました。
 元々生まれは大阪の粉浜なのですが、1カ月後には鳥取県の
境港市へ転居していますので、今や境港市が妖怪の故郷として
観光客に脚光を浴びるに至っています。
 彼は15才までその境港市で育ち、学校卒業と同時に大阪の印刷会社に就職しましたが、勤めが合わずその後職を転々としています。
 16才の頃、父の仕事の関係で甲子園口に住むようになり、その間美術学校にも通っていましたが、21才で召集されラバウルの戦線で左腕を失って復員します。
 28才の時、神戸の水木通に居住したのがペンネームの由来となり、31才で今津に移転しています。

その間 主として紙芝居を描いて生計を立てていたそうで、
したがって関西時代は全くの不遇生活だったというわけで
すが、35才で上京して貸本漫画に活路を見い出し、45才
の時に「テレビくん」で講談社の児童漫画賞を受賞するや、
やっと貧乏生活から開放されます。
その後「文化功労賞」も受賞し、名誉も獲得しています。