何がしたい何をしよう何が出来る?

◇◆冷静に自分をみつめるのは案外難しい◇◆

ひきこもりのセルフヘルプグループの場で
話していると、なんとなく

—何がしたい
—何をしよう
—自分には何が出来るのか

というムードになってきます。
はっきりとこれらの言葉が用いられるわけでは
ないのですが、なんとなくそんなムードに
なるのですね。

僕個人にあてはめてみますね。

—社会活動ならば、書く作業をしたい
—では、書くことをするのか(エッセイや記事的な文章?)
—僕が出来ることは少ない。書くことであっても
 特別に優れた文章が書けるというわけではない。
 ただ書くことは好きだし、かなり没頭(集中)出来るので
 もしかしたら自分には向いているのかもしれない。

ここでカテゴリーのライフウォーカー(生活者)ですが、
僕はホームレスであっても、ひきこもりであっても
自分は生きていると感じる人は生活者だと捉えます。
(生きる希望ではありません。生きていることです。)

僕なんかは現在はニートに近い状態ですし、
何か胸を張って「これをしている!」というものは
ありません。気持ち的にもちいさく(こんまい)、
ちょっとしたことで腹をたてたり、そねんだりします。

でも生きていることは実感しています。
すがすがしい朝は、トーストとベーコンエッグを
両親に作ります。
父に煙草を買って来てと頼まれ、
タバコ屋のオバちゃんといろんなおしゃべりを
するのも楽しいのです。
夕方、バイト帰りに、それぞれの家からもれる美味しいにおいに
お腹をすかせます。こころをときめかすのです☆

今は何も出来ないのかもしれない
今はウツになって、アルコール依存症になって、
涙を流しながら、「こんな生活抜け出たいんだ!!」
と思っている人

僕をご自分の息子のように捉えてくださっている
タバコ屋のオバちゃん

愛する奥さん(だんなさん)のために子どもたちのために
この現実の社会で働いている人

僕はかれらを書きたい?書けなくても関わりたい?
どうやって?僕にどう関われる?
でも何がしたいかはしっかりあるわけだから
その方向に進むというライフウォーカーでもいいよね?
自問自答は繰り返すほど、色濃くなるのですね。

※この写真は、一年ほど前の自室の壁です。
 現在はもうちょっとゴチャゴチャっとしています…。