カウントされない存在

◇◆僕は登校拒否をしたが
 学校に通ったことになっていたのだろうか
◇◆

数年前の夏休み明け、子どもたちの自殺が多発し、
社会問題になったことがありました。
文部科学省とマスメディアがともに
自殺・イジメやめようキャンペーンを行いました。

今回のイジメによる自殺は、
どういう影響を大人たちに与えるのだろうか
と事態を注意深く見守っている自分がいるのですね。

僕も10代のころは何度も自殺を考えました。
生きていく希望が全く見出せませんでした。

「このまま死んだら、マスコミに自殺報道とかされるのかな」

強迫症になっていたであろう僕に
自殺を踏みとどまらせていた一番大きな理由は
まさにそれでした。

「自分が消えて無くなる」

方がよかったとすら感じていました。
ですが、冷静に考えてみれば、
中学三年生の際、うちに来た生活主任の先生は母に、
「松尾くんの登校拒否の理由は学校側としては全くわかりません」
と告げたそうです。
「クラスのみんなが松尾くんが学校に戻るのを待っている」
とまで言ったそうです。
僕は学年中(いや学校中)の生徒に嫌われ、嘲笑されていたのですが…。

イジメによる登校拒否にはカウントされていなかったでしょう。
本当に悩み苦しんでいた10代、自殺したとしても、
イジメによっての登校拒否の果てによるものとはカウントされなかったでしょう。
(自殺報道によって、そのような事柄を報道されたかもしれませんが…)

世の中とはそのようなものだと思えるようになるには
時間がかかりました。
よしんばそう思えても、体調とのたたかいがありましたので、
僕がどう思おうが何を考えようが意味は無かったかもしれません。

一番大切なことは、
これからどうしていくのかだと思うのですね。
これから、教育(イジメ対策すべてひっくるめて)をどうしていくのか?
大人たちは本気でこれらの問題に取り組む気があるのか?

それを見せるだけでも、子どもたちは少しはホッとできるのでは
ないでしょうか…?