音楽教育とあるピアニスト

日 時 平成22年11月27日(土)
場 所 神戸女学院
講 師 津上智実氏(神戸女学院教授)
 近代音楽教育の始まりは明治政府が1872年に小学校では
唱歌を、中学校では奏楽をと示したことからです。
 そして1880年になって、音楽伝習人(将来プロになる人)の
募集を開始いたします。
 一方 氏の在籍する神戸女学院では、同じ1880年に声楽・
オルガンによる器楽の時間が設けられ、1906年には音楽科が設置されて今日の礎になっているとか。
 もっとも日本には五線譜がなかったため、基本の段階ではトニック・ソルファ奏法を採用したとかで、これは音階をその頭文字「d、r、m、f、s、l、t」で表現する手法です。
 基本が終わって次の段階になって、初めて五線譜を使用するという2段階学習をしたそうです。
 お話しは神戸女学院出身の世界的ピアニスト「小倉末子」に移り、彼女は1891年に東京で生まれますが、ほどなく神戸で暮らすことになって同校の音楽部で学んだ由で、卒業後は東京音楽学校本科に入学しています。(予科を飛ばして・・・)
 彼女は途中から4倍の競争率を突破してベルリン王立音楽院に入学しますが、第一次大戦の勃発により、オペラ歌手・三浦 環等とドイツを脱出し、アメリカにその拠点を移します。
 1916年に帰国し、東京音楽学校の教授の仕事をしながらコンサートも活発に行いますが、特に帰国直後の6回シリーズ演奏会(①バッハ他、②ベートーヴェン他、③シューマン他、④ショパン、⑤リスト他、⑥ドヴィッシー他)は、圧巻であったとのことです。
 彼女は1944年に数々の足跡を残し、53歳で逝去いたします。