今回のテーマです。
思春期ひきこもりと大人になってからのひきこもりへの
サポート(関わり)について
結論は、それぞれにはそれぞれの道があり、
それぞれの中にはさらに沢山の”それぞれ”があり、
道はある程度は、自分で見定めていくしかない部分が
あるかもしれません。
何やら長ったらしい言い回しですが、
僕は以前活動していた尼崎の「ほっと・HOT」と、
現在の「ルート」での活動で、思春期ひきこもりと、
大人になってからの一度社会に出てからのひきこもり
というものは意識がだいぶ違うのかなあと
肌で感じるようになりました。
社会人ひきこもりは、一度社会に出ているので
経験しているので、社会観念を持っていますね。
勤める・結婚することに関しても、現実的な見方をします。
一方、思春期ひきこもりは、社会に出ていないので、
一種、空想的な見方もします。
自分のやりたいこと、異性にたいする見方
(もちろん、すべての思春期ひきこもりがそうではないのですが。)
それらがおかしいとかそういう事ではなく
ただ社会経験があるかどうかで、
だいぶ変わってきますよね。
それはしょうがないことというか、至極当然なことだと思います。
では、双方のこれからの生き方・生活設計をどうしていくか
それが最も大切なことですよね。
お互いに心に傷を持っています。
いや、自分たちの方が持ってるという見方もあるでしょうが
お互いに強くこころに傷を刻み込まれていると感じます。
現在の行政の考え方では、なかなかそこまでいかない
ケアしながら、コンサルティングしていくこと
難しいと思います。
民間が行政の補助を受けて、おこなうというケースが
あるかと思います。
ですが、地域(地方)によって温度差があります。
スタッフ側も生活していかなければなりませんし、
生身の人間ですから、ボランタリー精神だけでは活動は続きません。
話を戻しますが、
思春期ひきこもりと社会人ひきこもりとは
考え方に相違があるケースが多い。
これからの生活をどう当事者(親も含め)、
スタッフと共に考えていくか・していくか
そこまでする必要がないと言われればそれまでですが
ひきこもりという状態はとても不健康であって、
からだの調子もくずしやすい(さらにくずしやすくなる)
親無き後も考える
だからケアしながら、コンサルティングしていくのが
道筋だと思うのですが、残念ながらそこまで出来る
社会の枠組みがある地方(地域)は少ないかと思います。
必要と思われている方は多いと思います。
ですが、実際問題として難しいというのが現状ですね。
だから今のところ、最初のことばに戻るしかないと思われます。
イジメを受けたら学校を休めばいい
勉強をしながら、自分のペースで通えるスペース
学校や社会で受けた心の傷をケアしながら
専門知識のあるスタッフたちと共に自分のライフデザインをしていく
言葉にするとシンプルなのですが…